***  2003年8月匿名投稿  ***




原作中の実名は全て仮名に変更しました(HP担当)

 ぶらぶらと新宿を歩いていた。
 「何する?」「んだな」
 昼飯時を過ぎていたが、どうするか決めかねたまま足は区役所裏に向かっていた。「まさか、この時間に開いている訳ねえしな」と久保田が言ったが、店の開き戸は開け放されて、ママが一人でカウンターを磨いていた。

 「なんだ、良い若いもんが、こんた時間にブラブラと」いきなり怒鳴られた。その癖、眼鏡の奥で細い眼が笑っている。三崎千恵子を少し柄悪くし、眼鏡をかけたと言えば、想像できるだろうか。「おめがた、飯はまだだべ。今ご飯炊いているから、少し待ってれ。妹からハタハタ送ってきてるんだ。」それは上々。

 待つほども無く、暖かいご飯に、ハタハタ。味噌汁に鉈漬もついていた。「鉈漬も妹が漬けたんだって」とママが言うが全部美味しかった。久しぶりの秋田の味だ。ママは男鹿の生まれで、戦後すぐから新宿で一人で店を切り盛りしてきた。「牧村のママ」と言えば、昔からの新宿の酒飲みの間では有名な女傑だということは後で知った。

 「いや、ママの飯は旨え」と久保田が言えば、「馬鹿、あたしはプロだよ。んでも一人で食べるよりは何ぼか良かったよ」とママが笑う。今日は運が良かったと私たちが言い合いながら、礼を言って立ち上がったところに、「今日はアカネの誕生日だからね。忘れるんじゃないよ」と追いかけてきた。そう言えば、昨日拗ねたように「どうせあたしなんかさ、誰もお祝いなんかしてくれないよ」と言っていたのを思い出した。

 アカネは牧村でアルバイトをしている。私たちより確か一つ年下だ。演劇を志しているが役者ではなく演出家の方で、だから美人でなくても構わないとは言わない。いつも薄汚れたジーンズに色の褪せたシャツ姿だが、もう少しだけ痩せれば、長い髪と似合って美人だと言えるのだがと、私は思っていた。

 「まず、夕方までだが」「早稲田松竹?」「そうするべ」
 松竹なのに、いつも東映の仁侠映画を上映している。私たちはここで古いやくざ映画を随分見てきた。それに寅さんも上映するのだから便利な小屋だ。それにしても、今日は運が良い。前から狙っていた山下耕筰監督『総長賭博』をやっている。私たちはまだこの傑作の名の高い作品を見る機会がなかったからだ。
 桜町弘子は昔のお姫様女優じゃないかと思っていたが、凛として綺麗だった。若山富三郎の怒りの爆発が納得できた。兄に向かって「人殺し」と声を絞って叫ぶ藤純子は、この映画では余り出番はないがやはり美しい。「俺はケチな人殺しだ」と肩を震わせて金子信雄を突き刺す鶴田浩二も、いつもながらとは言うものの、やはり耐え続けてきた男が最後に意を決する姿が似合っている。様式通りなのだが名和宏が悪役でなかったのは珍しかった。みんなが善意の人たちばかりなのに、たった一人のチンケな悪党のために、宿命につき動かされるように、悲劇へと向かっていく。これはギリシア悲劇の骨法だろう。金子信雄は誰も逃れられない宿命だ。

 「良がったな」と私たちは充実した気分一杯で、肩を怒らせて新宿へ戻った。

 「誕生日ですよ」「やはり何か」
 花屋があった。「花か」と足を止めたところに、店員が「どなたかに贈り物かしら」と声を掛けて来た。「若い女の子なんだけど」「それなら薔薇になさいませ、女性は薔薇がお好きよ」と上品な口振りだが押し付けがましい。だが、良いかもしれない。酒飲みのアカネにはケーキは無駄だ。アクセサリーの類は私たちには最も似合わない。選べないし、第一そんな金がない。しかし値段を聞いて驚いた。
 「一本って訳にはいかねよな」と久保田も憮然として呟く。散々迷って、いちばん色の鮮やかな真っ赤な二本を包んでもらった。店員の顔が笑いを堪えているように見える。恥ずかしい。しかし今、私たちは充実している。たった二本でも、これは私たちが生まれて初めて女の子のために買った薔薇だ。

 外から様子を窺うと、牧村の狭いカウンターは半分くらいが埋まっていた。アカネの笑い声も聞こえるが、大勢の前で手渡すのは照れくさい。店の外に於いてあるポリ容器の蓋の上にそっと置いて店に入った。

 「いらっしゃい、一日ぶりだね」と笑うアカネに、「ちょっと外に」と久保田が指差した。「何だよ」と口を膨らませながら引き戸を開けたアカネが「ぅわーっ」と叫んだ。「なんだ、なんだ」とママが驚くところに、アカネが振り向いた。二本の真っ赤な薔薇を胸に抱えて顔を上気させ、照れたように「有難う」と言うアカネはちょっと素敵だった。

 「全く。おめがたはオナゴさ直接手渡すこともできねんだか」とママが怒鳴った。周りの客が笑う中、私たちは下を向いて小さな声で「誕生日おめでとう」と言った。