だまって読め
だま読めコーナー

***  佐藤真人氏による歴史小説  ***
第二編

2003年1月

「横の会水滸伝あるいは合体名簿作成委員会の奮闘」

   天保年間、奥羽諸国は凶作に喘ぎ、一揆、打ち壊しが頻発していた頃、横の会秋田本家と江戸組との間に不穏の気配が漂っていた。ある夜、仏蘭西流料亭「本間屋」で本家筋の主だった者たちが密議を凝らしている。但し、飢餓に苦しむのは世間一般と変らない。本間屋主人の好意で会合場所だけは確保できたが、皿に並ぶのは各自が持ち寄った漬物だけだった。それでも久しぶりの豪遊である。
「どうもこの頃江戸組の専横、目に余るものがあるでねぇが、のう土方。」「んだ。専属歌手決定戦だ、瓶倒し名人なぞと、本家に何の相談もなく、勝手に騒いでいるのは問題だ。そういうのは、有線網支配奉行を任されでいる俺の許可を貰わねばならねのに。」「秋田で食えねもんだがら、江戸さ出稼ぎに出掛げて行った連中だ。中には行方知れずになった者もいる。可哀相だどは思っていだども、少し増長しているな。」「第一、勝手に名簿作ぐるってごと自体、分裂を画策してるなだ。」「天誅を加えねばならね。こごは一刀流の八嶋に任せでけれ。何、人数がら言っても、本家の方が圧倒的に強ぇんだがらな。」「とにがぐ、人数増やせ。資金集めだ、金貸しの湊屋を呼べ。」
そんな計画が秋田で練られている頃、内藤新宿の小さな居酒屋では、「なんだが、本家の方で、俺がたを敵視しでいるみでぇなんだ。なんとしたら良いべ。」と大内が口を開いた。居酒屋とは名ばかり。地面に丸木で柱を立て、その上に蓆を被せただけのあばら家だが、ここでも大内が自分で漬け込んだ鉈漬けを持ち込んでいた。「本家は本家、江戸は江戸で良いべ。別に気にする必要はねぇど思うどもな。」「んだども、向こうは、天誅だどか言ってるがらな。何が策を立でねばならねな。」「こっちでも人集めねばならねな。眞人、その名簿を持って来てみれ。」「んだども、わが方は数では敵わねよ。」「この敗北主義者、何、弱気言っでる。なせばなる、絶対勝づ。」「江戸だげだば駄目だ。武蔵、相模、下総、下野。関東一円に回状まわして集めるんだ。それがら上州の国定村の親分さも助っ人を頼んでみるが。」(結局、忠治には相手にされなかった。)
秋田でも「大久保広告斎、んめは、なして、本家と江戸ど、両方さ名前入っでるなだ。本家を裏切るつもりだが」八嶋が詰め寄る。「なんも、たまたま俺が披露目屋の寄合仲間とお伊勢参りの途中で江戸さ寄っだ時、あの連中と一緒に飲んだだけだ。名簿のごとなんが、知らね。」「そう言えば、俺も一時江戸で修行してあったども、きちんと仁義きって帰って来だのに、今でも江戸さ名前が残っでる。おがしな。」一心太助の名跡を継ぐ政人も憤る。「やっぱり、江戸の奴がた、本家の切り崩しを狙ってるな。早く征伐しでけねば駄目なようだな。」「武州三多摩さは俺の親戚で薬を商っでる歳三さんがいる。あの人は強えぞ。江戸の攪乱を頼んでみるが」と土方が言う。(時代考証が無茶苦茶である。土方歳三は、まだ庭先で鼻水を垂らして駈けずりまわっていた頃だと思うのだが。)
両派激突の危機が迫る。秋田では、手裏剣を投げては天下一と言われた川原、南蛮流柔術を伝える石井、牛を思いのまま動かす闘牛和人など、腕に覚えのある者をかき集める。「いよいよ腕の見せ所だ」と八嶋は腕を撫でる。露西亜探索の密命を帯びて蝦夷地に渡っていた露西亜語通辞淳一も馳せ参じる。探索の傍ら、熊を相手についに柔の秘術を身につけたのだ。「ようし、準備は万端、江戸さ果し状を送れ。但し、御公儀が騒がねよう、盗賊改めの永井様さは話を通しておがねばならね。」

横の会は分断された。江戸方の名立たる者は、その足の力は群れを抜く天野、瓶倒し名人にして小唄の師匠なりあん昌史、ろけっと流砲術師範の菅生、神田お玉が池で北辰一刀流の允許を得た岩谷、手習い師匠をしながら実はぶちかましの力を磨く武田先生、更に力はないが一人で混声二部合唱が出来ると豪語する大内(喧嘩に役立つとは到底思えないが)、等々いずれ劣らぬつわもの共。日頃は温厚な大工三輪組の棟梁も、「若え者を集めるなら任せでけれ」と拳を振りあげる。千葉道場で岩谷を鍛えた平手造酒も助っ人に駆けつけた。(平手は飯岡、笹川の大喧嘩で忙しい筈だが何故ここに登場するのか分からない。あるいは酒にありつけるとでも思ったものか。)

「ああ、あの人は、江戸の名簿さ入ってる。私は秋田の人間。このままだば、私たち、一生夫婦になれないのね。なんとがして、私がたが一緒になるごとは出来ねんだべが。」誰に語ろうとするのか、雄物川の水面を見つめながら涙を流す一人の美女。(場合が場合であり、特に名を秘す。)荒川大橋の上では男が溜め息をつく。「ああ、秋田さ残しできた花ちゃん(仮名)、なんどせば、一緒になれるんだ。分断されたわが祖国の統一は生きでいる間にはついに実現されないんだべが。」彼らだけではない。秋田と江戸とに引き裂かれ、悲痛な叫びを上げる男女数組があった。(これらについても、その名は明かすことができない。)

声が聞こえる。「万一事が露見しで失敗せば、俺がたは、裏切者と呼ばれで、一生、村八分の目にあうんだや。その覚悟はあるが。」どうやら、闇の雅樹のようだ。時空を超えて、秋田と江戸から選ばれた戦士のもとに、いかなる術によるものか、雅樹の声が同時に聞こえたのだ。「こんどの争いの原因だば分がってる。要するに、秋田と江戸と名簿が二つもあるのが悪りぃなだ。んめがだの使命は、この二つの名簿の合体だ。合体統一名簿の作成ごそ、何よりも急がねばならねぇ大事な仕事だ。特に、幕府には絶対に分からねようにさねばならね。高野長英先生はどこさ逃げているものやら。渡辺崋山先生は小田原に蟄居。俺がたも、どんた御仕置きを受けるか分がらねからな。」
この危険な、しかし統一のための崇高な企てに集められた者たちは、南蛮渡来のカラクリ術を操る美人忍者ちょび、横の会きっての美人文子姐さん、御家の一大事を救わんと固い決意の美女えり子姫。相模国からは美人寛子、下総四街道からは美人知子も呼び集められた。名づけて「合体名簿作成委員会。」
「データのコンバートが上手くいがないのよね。プログラムは間違ってないはずなんだども。」「江戸のデータがおがしいんでねが。」「秋田の名簿さは郵便番号3桁どか5桁のものが随分含まれでるわね、これが原因だかもしれないわ。」「よし、変換ソフトをかましてみるが。」「あ、そごのソースどご見でけれや。」「英数欄の所に文字が入っているの発見。」南蛮渡来の忍びの秘法か伴天連の呪文か、了解不能の言葉が飛び交う。この現場を妖怪と恐れられる鳥居甲斐に発見されれば如何なることになるか。ことは秘密を要する。しかし、様々に試み、その都度発見された部分の修正をしてはみるが一向に解決の目処がつかない。危機は迫っている。急がねばならない。「ああ、なんとせば良いべ。」雅樹が天を仰いだ。
「アップロードは無理だようだわ。こうなれば、人力でやるしかなさそうね。ただ、間に合うかどうか。」統一を守る為には、風雪に消えぬよう、大石にその名を刻さなければならない。どう頑張ってみても一日に一人の名しか刻めぬ。この限界を超えれば一生腕があがらなくなるやも知れぬ。両派の決戦まであと数日しか残されていない今、僅かな人数の委員会の手で、そんな無謀なことができるというのか。「一番がら百番まで私やる」と文庫姐さん。「私もやる、何、手分けしてやれば、何とかなるど思うよ。」えり子姫も健気に言い切る。
辛い苦しい作業が始まった。元の名簿に誤りがあればその訂正もしなければならぬ。渾身の力を振り絞って石に向かうが、文字を刻むその腕は折れんとする。「こんた時、寒風の金太郎親分がいれば。」岩をも砕く怪力無双の金太郎がいれば、どんなに心強いかと、えり子はつい愚痴をこぼす。涙も出る。しかし大義のためにはやらねばならぬ。「統一のために」を合言葉に、委員会の面々は力の限りを尽くす。どこで知ったか、蝦夷地で虫を相手に暮らしているドクトル均から「虫だって平和に暮らしてるんだよ、人間は争ってはならねのす。皆さん、頑張ってくださいよ」と激励の飛脚便が届く。幸ちゃん流茶道家元からは秘蔵の茶が届いた。「茶の本質は争いを避けることにある。あんだがたの努力は、茶の道に適ったものです。」疲れた委員の胸に暖かいものが溢れてくる。孤独ではない。だが努力は報われるか。決戦は回避されるか。

船大工の棟梁、貢の斡旋で船を仕立てて土崎港に上陸した江戸組の者たち。待ち構える本家の者およそ三百。「おい、江戸の奴ども、魂消たか。こっちは三百人もいるんだや。」対して江戸組は百に満たないが、数の不足を補って田原縦笛斉に率いられた軍楽隊が土崎港にその大音声を轟かせる。一方はその音に負けじと秋田音頭をがなりたてる。

一触即発。その時だ。
「待で、待でー。その喧嘩待った。」馬に乗った雅樹の姿が現れた。付き従うえり子、ちょび、文子の三人。「合体名簿が出来だんだ。みんな、これ見でけれ。」四頭の馬が引く車には、幅三尺、長さ六尺の巨大な石板。壮途半ばにして倒れた者十五名、行方知らずの者百数名を含め、その数五百二十余の名が刻まれている。死に物狂いでやっと完成させたその名簿を積んで、四人は久保田城下から馬を飛ばして駆けつけて来たのだ。「もう、本家だ、江戸だなんて争うごとはねぇ。こごに、名簿はまどまったんだ。秋田も江戸もこの名簿で交流深めて一緒に仲良く遊ぶごとができるんだ。専属歌手も、瓶倒しも、一緒にやればいいごどだ。」
「それにこの喧嘩が大目付の鳥居甲斐守の耳にでも入ったら、きっと横の会はお取り潰しにあってしまう。みんな、お願いだから喧嘩なんか止めて」えり子は涙を流して訴える。
両派、なぜこのような大騒ぎになったのかと冷静に考えると、結局、秋田本家でも専属歌手の称号が欲しかったのであり、瓶倒し名人を自称している者もあったのである。今後、秋田と江戸の全員が参加して共同で名人位を争うことに決まれば、何の争う理由もない。喧嘩は回避された。分断は統一された。全員で歓びの歌。大内歌右衛門が自慢の声を響かせる。

「あのー、ちょっと良いべが」一人の美女(雄物川の水面を見つめて泣いていた美女とは別人。秋田の女は全て美女と決まっている)が口を挟む。「名簿の合体は嬉しいし、喧嘩がなぐなったのも喜んでるども、んでも、どごさ拉致されたんだが、私のあの人は行方知らずなんです。あの人の所住まいがちゃんと分からねば、名簿は完全でないと思うんです。」
彼女の恋人だけではない、百名を超える不明者の数。彼らをこのまま放置することは許されない。集まった全員の総意の下に、合体名簿作成委員会は、「不明者捜索人権委員会」へと改組され、新たな長い長い戦いが始まる。(完)

筆者注:今回は天保水滸伝を下敷きに致しました。平手造酒(本名・平田深喜と言われる)が登場しているのはそのためです。