横の会(関東支部)第9回大会始末

   

≪準 備 編≫

 幹事会の内幕
 本番より実は準備のほうが楽しいのは誰もが知っていることだろう。打ち合わせのために集まって飲むのは楽しい。その日が近づいてくるとだんだんワクワクしてくる。今大会は準備会に参加できた人数が少なかったのは残念だった。
数回続いて12月に開催していた関東支部大会だが、今回は幹事長多忙のためなかなか打ち合わせの機会がもてず、2月5日に開催することに決まったのが11月12日だった。「ほの字」(銀座)に集まったのは、工藤泰之、田原清彦、大内誠、佐藤眞人。工藤貢は業務多忙で打ち合わせ終了間近に空腹を堪えて漸く到着した。この日の決定事項は、開催日と案内状作成担当者だけで会場は大内が探すことになる。後からの反省だが、2月という時期が適当だったかどうか。
田原が持込んだフランス高級ワインに酔い、「ほの字」のセット料理に満腹しきった(5人で予約しているのに4人で全部平らげたのだから)泰之と大内はそこで別れ、腹の減っている貢のために、田原がパリ時代の友人3人が集まっているバーへ連れて行ってくれた。関西出身だという女弁護士が怪しげな秋田弁を使ったり、田原がいつもの『ともこ』(表記はこれで良い?オリジナルを知らないので)を秋田弁で歌ったり、なぜか、その席では秋田弁を使わないと怒られた。秋田弁普及のために田原はこんなにも献身的に活動しているのだな。田原は最初から電車で帰ることなど考えていないから(大手企業の部長は高給取りです。銀座から逗子までタクシーかい?)時間を気にもしないが、貢と眞人はタクシーなど思いもよらない。やっと終電に乗り込んだが、東上線の最終電車は自宅のある最寄り駅よりはるか手前の川越市が終点で、そこから自宅まではタクシーに乗らざるを得なかった。15年ほど前、一度歩いたことがあるが、そのとき2時間半ほどかかったからね。とてもそんな元気はないし、なにより今は身体障害者の身の上だから。
会場を決め、大会までのスケジュールを確認するため12月18日に上野の「さくら水産」に集まったのは上記メンバーだが、今回は幹事長多忙のため参加できず。幹事長の委任に基づき、会場は大内の手配した銀座のホテル西洋銀座「Intraの間」と決まった。ここは最低30人が基本的な予約条件だが、大内の機転と必死の交渉で最低25人の予約ができた。
 秋田以北を除いて名簿から148人を抽出、年末30日に139通を投函した。(葉書は140枚買ったが、1枚失敗してしまった。裏表同じものを印刷してしまったのです。)節約のため、メールで連絡可能な幹事には出すまでもない。年末に投函したのは、年賀状と同時に届けば必ず見てくれるのはないかと考えたからだ。返信葉書の受取は田原が担当し、逐次、回答の到着状況を知らせてくれることになった。
 ところが思ったほど回答は集まらず、苦慮。1月20日、最終調整のため、八重洲口の「北の家族」に集まる。運よく秋田の伊藤雅樹が東京出張に当たったため合流してくれた。実は雅樹と直接まともに会話をするのは初めてだが(同級生だった時はほとんど覚えていない)、ネット上のやりとりで古くからの知り合いのように感じられる。なにしろ「横の会」の命名者だから偉いひとなのだ。無回答者のリストを用意し、手分けして勧誘することに決定。このままでは当初設定した会費では不足となるのが明らかで、値上げ決定。打ち合わせが終ればいつものように歌になる。雅樹、田原、貢、眞人のメンバーで歌えば、「レベルが高い」という田原の感想は間違っていない。大内が、社内監査資料準備のために参加できなかったのは残念だったね。
 女性陣には寛子さんがメールや電話で勧誘してくれ、その他追加で申し込んでくれた人もいて、参加予定は22人となった。予定の25人には足りないが、値上げした会費で何とか賄えそうだ。しかし、4日になって二人キャンセル。仕事のことであればやむをえないが、これでまた少し足が出る勘定になる。佐藤久隆と藤井和明は、次回必ず参加してもらわなければならない。欠席の返事の中に「体調不良」とあるのが数人、気になることだ。


≪本 番 編≫

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 当日、幹事は1時間前に会場に到着。しかし実は分かり難い場所だった。銀座一丁目の駅員に教えられた出口は全然方向が違っている。地図を見ながら歩き、交番を発見したが警官は不在。机の上にある大きな地図を頼りにやっと探し当てると、目の前に看板があった。皆、ちゃんとたどり着いてくれるのだろうか。
 受付は山瀬(桝村)寛子さん、樋口(目黒)洋子さんのふたりが担当してくれた。寛子さんは正月からずっと体調が悪かったのに、いろいろ連絡をしてくれ感謝で一杯。洋子さんも愛知県から来てくれるのは嬉しいね。今はまっている木工の腕前をいつか披露してもらいたい。
前回使った名札ケースは誰が保管していたのか(貢だった)、今日は忘れて来ていたが、罪の意識に駆られた貢は伊東屋まで走りケースを購入。名札をセットしていると、田原のクラスは3年だけで1、2年が空白になっているのが発見された。確か2年の修学旅行で吉野と一緒だったと言うから、なんだ、それなら眞人と同級ではないか。しかも2年連続の同級生になる。ほんとに一緒だったかね。こんな細かなことが分らなくなっている。
最初に来たのは宇野英彦。こんなに太っていたかしら(と言っても、直前に卒業アルバムを見てきただけだから、高校時代はよく知らないのです)。「ハゲは自分だけかと思っていたが安心した」というのは少し失礼ではあるまいか。私は剃っているのです。しかし、その安定感のある体格は、銀行マンとしては客に安心感を与えるのかもしれない。秋田和則が来た。徐々に集まってくる。宇佐美は私と同じ田舎者だった。やはり道が分らず、私が地図を見た交番から電話をしてくる。口で説明してもなかなか分らず、大内が迎えに行ったのでたどり着いた。美しい美女(これは日本語としておかしいが、私の驚きの表現です)到着。首をひねっていると「秋田高校の方ですか」と聞いてくる。これが市田(仙葉)蕗子さん。富山在住だが、ちょうど研究会で上京していたところらしい。ご主人が某医科大学勤務になり、本人も月に2、3回は上京するという。わざわざ盛岡から加賀谷重俊も到着。
 定刻6時の15分前になると、会場でワインを用意してくれたので受付を放って予行演習が始まった。佐藤謙二はやはりデジカメ持参で心強い。関東支部の写真班長に任命したい。定刻になって、まだ二名到着せず。特にもう一人の女性大谷(石戸谷)育子さんが見えない。仕方がないので始めようというとき、ぎりぎり間に合った。

 幹事長工藤泰之の開会の挨拶で始まる。某映画会社系の衛星劇場の役員として、勘三郎襲名行事で多忙に加え、その息子の事故対策のため、今日も夜9時から会議あり、二次会には参加できずと謝ることしきりだが、なに、その代わり不足の経費を余分に戴いたので充分です。それに、人数が集まれば歌舞伎のチケットを割安で提供してくれると約束(だよね。酔った勢いではないよね)してくれた。誰が司会をするのかなどの段取りを決めるのを、すっかり忘れていたが、田原がやってくれる。
 その間、まだ来ていない小野平に連絡を取るべく、大内は秋田のえり子さんに電話をして名簿を調べてもらう。宇佐美はつい最近、仕事の関係で「小野平というひと」に会い、同名同姓のひとがいるんだな、と思っていた。奥さんも、絶対同じ年齢ではないと断言したというが、宇佐美は外見が若すぎるのだ。小野は、すっかりこの日のことを忘れて仕事中。7時半には行くという返事。(確かにその時刻に到着しました。)
 三つのテーブルに25人分の椅子とグラスがセットされ、料理は壁際にあって自分でとりに行く方式。絢爛豪華な料理です。しかし、いつまでたってもボーイはワインしか注いでくれない。他の酒はないのだろうか。水割りがありました。発泡ワインはすぐ飽きるからね。(実は日本酒か焼酎があるともっと良かったと、心の中でちょっと思った。)
 一人づつの自己紹介を兼ねた近況報告が始まる。那波直樹は生物部以来の美女に再会して興奮しているが、連続9回、欠席なしの参加は偉い。生物部出身なのに、鉄屋になって物づくりニッポンの基盤を支えている。ビートルズにうるさい西村徹朗も9回出席。次回の幹事にこの二人が選ばれたのは当然と言える。
 話に聞き入っていると、料理の進み具合が遅いから一所懸命食べろと、大内がいつもの気配りをする。佐藤謙二の能力は写真だけではなかった。「今、小説を書いている」と言っていたから、いつか発表される筈だ。単身赴任だから夜は暇なのだろう。船山幹夫も音楽関係の膨大な資料を使った著作を考えているというから、どうもこの連中は凄いね。船山は会社の希望退職に応じて奥さんの実家のある山形に転居予定。次回は山形にも案内状を出します。1年で同級だったことを失念していて御免なさい。
天野は「大内に脅迫されたから」出てきたと言うが、どっちが脅迫するかは誰もがわかるだろう。秋田和則は環境問題の専門家(公害防止協会)。製造業の連中はこれから秋田の顔色を思い出しながら仕事しなければならない。工藤貢は○○造船で水環境汚染対策を専門にしている。ムード歌謡を歌うだけの人ではなかった。松渕秀和は△△銀行東京支店長。同期で△△銀行勤務が何人いると言っていたかしら。そう言われてみると、銀行員(及び元銀行員)が多い。秋田と比べて「地獄の夏と天国の冬」を実感している。小野平は香港から戻って日本郵船の子会社の役員をしている。宇佐美の奥さんの言葉どおり、完全な白髪は宇佐美と比べると年齢差を感じてしまう。ちなみに完全な白髪になってしまったのは小野と秋田の二人です。
皆結構詳しく話してくれるのだが、だんだん酔ってくるから余り覚えていないのは、話してくれた人には申し訳ない。仙葉さんは小児科、石戸谷さんは麻酔が好きというお医者さん。寛子さんと洋子さんは優雅な専業主婦。
「校友会歌」をかなりの人が知っているのには驚いた。私は全然知りませんでした。ブラスバンド部員の田原が知らないのは職務怠慢ではないか。校歌はいつものこと。
二次会は少し歩いたところにあるビッグ・エコー。泰之、天野、佐藤謙二、宇野、松渕が参加できず、15名となった。あとは野となれ山となれ。あまり歌わなかったような気がするがどうだったでしょうか。
当初予定の人数には満たなかったが、これはこれで小ぢんまりとまとまって、なかなか良い会であった。

二次会に参加しないのに、受付で無理やりお釣りを強奪された宇野、天野、それに幹事長責任で不足分を補填してくれた泰之の三氏に感謝。おかげで次回のはがき代の原資が確保された。
翌日から早速写真をアップしてくれた佐藤謙二の早業にも感謝。しかし、いきなり坊主頭が出てくるのはいかがなものか。順序がちがうのではないでしょうか。
(2005.2.13 眞人記)