***  匿名投稿  ***

2003年9月

原作中の実名は全て仮名に変更しました(HP担当)

 「苑子さん、映画見に行こうよ」
 苑子というのは、私の一年後に入社して同じ課に配属された子だ。短大卒で、私にとってはただ一人の後輩社員だから、気楽に声を掛けることができた。決して美人ではないが、健康に日焼けした素肌が眩しかった。
 見たい映画は『東京流れ者』だったが、「わたし、そんなの嫌です」と一瞬にして断られた。『けんかえれじー』はどうだろうと粘ってみたが、これも却下された。鈴木清順の特集をやっていたのだ。しかたがないので宮野を誘った。「苑子に振られちゃったからさ」「いいべ、気にしない気にしない」

 「流れ者には女はいらない、女がいちゃぁ歩けない」
渡哲也は最高です。ストロウハットが粋でちょっと拗ねたような笑顔が切ない。孤独が身に沁みる笑顔だと私は思った。「哲也さん、行かないで」と松原千恵子に縋られても、男は行かねばならないのです。後年、苦虫を噛み潰したような表情を崩さなくなったが、絶対、若い頃の哲也のほうが良かったと、私は断言してしまう。それにしても、松原千恵子はどうして、わざわざ選んだように危ない場面に登場して、敵に捕らわれてしまうのか。捕まってしまうのは分かりそうなものではないか。渡哲也がどんなに強くても、松原千恵子が人質になっていては、戦いようがあるまい。

〜どこで生きても流れ者 どうせさすらいひとりみの
明日はどこやら風に聞け 可愛いあの娘の胸に聞け
ああ東京流れ者

「よし、リリーに会いに行こう」
おいおい、流れ者には女はいらないのではないか。女がいては歩けないのではなかったかと頭の片隅で誰かが言っていたが、私もリリーの顔が見たい。

 私たちはキャバレーに通うという、分には過ぎた遊びを覚えてしまった。よくあれほど頻繁に行けたと思う。手取りで六万円程度、部屋代に二万円を取られると残りは四万円だ。それで毎月のようにキャバレーに通ったのだから、生活はどうなっていたのかと不思議だが、今まで生き延びているのだから、何とかなっていたのだろうと思うしか仕方がない。確かにいつもピーピーしていた。ボーナスなど貰ってもすぐに消えたが、借金はしなかった。宮野も会社に勤めるようになっていたから、二人分を合わせれば何とかなっていたのだろう。
後に歌舞伎町がエロ一色に染まり、悪どいサービスを競い合うようになる時代の直前のことだから、特に変わったことがあるわけではない。ただ狭いボックスシートで若い女性と体を密着してお話できるというだけのことだ。時には手が滑ったようなふりをしてちょっと胸に触ったりする程度の、ごく大人しいものだが、それのどこがそんなに面白かったのだろうか。

クインビーとかハワイとか大手チェーンのいくつかを経験した後に、私たちはリリーに出会った。あまり有名な店ではなかった。宮野の証言では、最初に私の隣に座ったのがリリーで、宮野の隣にはとんでもない「へちゃむくれ」が来たので頭にきたというのだが、本当だろうか。私にはその記憶がない。私たちの乏しい経験では、キャバレーのホステスとしては異例とも思える、飛び切りの美人だった。
 当時、私たちは「女工哀史」という言葉をよく使った。あるいは「野麦峠」でも良いのだが、好きで水商売、それもキャバレーなどで働く女性はいないのではないか。家貧しく、やむを得ず紅灯の巷に身を落とした女性。私たちは、『三代目襲名』で鶴田浩二扮する菊池浅次郎が、薄倖の娼婦の藤純子を庇って、「なんぼ、売りもん、買いもんの女郎やかて、親の死に目に会えないのは、一生の親不孝や」などと言う台詞を覚えてしまったから、「不幸」な女性を前にする芝居を探していたのかもしれない。
それは私たちの感傷だった。後年、「風俗」というものが一変して、あの頃とは全く異なった状況が出現するのだが、当時としても、涙ながらに身を売ってくるような女性がいたとは思えない。

 しかし、私たちの感傷とは全く関わりなく、リリーは明るい女だった。私たちは一遍でファンになった。それからは給料が出れば「リリーに会おう」というのが、私たちの合言葉になる。リリーといえば『私は泣いています』の歌手か浅丘ルリ子を連想するが、そのいずれとも違って、若く元気な娘だった。化粧もほかのホステスとは違って、ごく自然な感じで好もしかった。(と思う。何しろキャバレーの薄暗い照明でははっきりしたことは分からない)
 最初は、少しばかりおさわりの度が強い店にいたが、私たちが知ってからすぐに、もっとおとなしい店に移った。私たちもリリーに合わせて店を変えた。以前の店と同じつもりで胸に触りかけると、ここはそういう店とは違うと怒られた。
これは私たちにとっても嬉しいことだった。以前の店であれば、リリーの太腿や胸にどんな卑猥な人間が触るだろうかと、やきもきしなければならなかったからだ。今度の店はちゃんとステージがあり、バンドの演奏をバックに私たちはチークダンスらしきものを踊った。ただ体を抱きしめて歩き回るしか芸はなかったから、ダンスというのは実はおこがましいのだが、私と宮野は争ってリリーの腕を取った。そのたびに長い髪が揺れる。リリーの身体は華奢で、私の腕はその背中を回っても随分余ってしまう。頬をくっつけるとリリーの香水は良い香りがした。

 「弟がね、大学に行くって言うの。まだ二年生なんだけどね。参考書は何がいいのかしら」
 旧帝大を狙っているというから優秀なのだろう。彼女は自分が働いて得た金で弟を大学にやろうとしているのだ。弟も姉の苦労を知っているから、なんとしても国立に入らなければならないと思い定めている。なんと健気な姉弟。ああ野麦峠。俺が持ってくると、私は考えられる限りの参考書を懸命に集めた。
会社で参考書を集めていると、苑子が「何やってんですか」と不審がったが、ちょっと弟にと言い訳した。
「えーっ、弟がいるなんて、あたし聞いてませんよ」「宮野の弟」「宮野さんだって、確か妹さん」苑子の詮索はうるさいが無視した。
集めて持っていった参考書は実に重かったが、リリーは喜んだ。

 「今度またお店を移るの」リリーが言った。「クラブだからもう少し静かな雰囲気で会えるよ」。
スカウトされたのだ。リリーなら、キャバレーではなく、もう少し高級な店でも充分に売れっ子になるに違いない。ちょっと料金が高くなるかも知れないと思ったのは私の吝嗇のためだろう。そのときは連絡をしてくれと名刺を渡していたのだが、うまくいかなかった。

 数日後、課長に呼ばれ、「少しは真面目な生活に戻ってもらわなくちゃ困る」と叱責された。何のことだろう。確かに仕事はあまりしなかった、というよりも随分迷惑をかけてはいた。しかし、このところ特に大きな失敗もしていないし、客からのクレームもない筈だ。それなのに、私生活のことをどうして言うのだろう。
 「なんだか怪しげな女から電話があった。二度と電話しないように断ったからね。リリーとか言ってたな。君も少しは真剣に仕事に取り組んでもらわなくちゃ困るよ」
愕然とした。彼女は決して「怪しげな女」ではない。キャバレーで働いているかもしれないが、まっとうな女だ。別な名前を打ち合わせて置けばよかったと気づいたのは後のことだった。そんな才覚もなかったのだから、自分の無知が悔やまれる。

 その日以来、リリーの消息は途切れてしまった。宮野には、なぜ電話があったとき席についていなかったかと散々罵倒された。しかし、私は営業職だ。外出するのが仕事だから、いつ来るか分からない電話を待って、会社に待機している訳にはいかないではないか。大体、あのときに宮野が名刺を持っていないのが悪い。「いや、俺は出張が多いから、連絡つきにくい」

 すぐに私たちはリリーのいた店に行った。ボーイが冷たい声で、「リリーさんは辞めました」と答える。悔しいことに私たちはリリーだけを目当てにしていたから、一緒に席についた女の名前すら覚えていない。知っていれば指名して何か聞き出せたかも知れないのだが。偶然と言うこともあるかもしれないと、私たちは二、三軒の店も当たってみた。しかし、歌舞伎町にどれだけの店があるのか。偶然に再会できるほど世間は甘くない。私たちのキャバレー通いは、それをきっかけに終わった。