***  匿名投稿  ***

2003年9月

「結局さ、給料安いし、応募してくる奴なんかいないんだから。受ければ誰だって合格したんだよ」
依田が大声で言い、私たちも、そうだよなと頷きあった。初任給六万七千円で六畳の部屋代二万円を引かれると、かなり厳しい。新聞などで見る限り、今年の大卒初任給の平均は七万円を越えていたから、水準よりも遥かに低い。「ほんと、給料安いですよね」と宮野も相槌を打つ。万一のときの命綱が私の給料だから、宮野にとっても他人事ではない。しかし、現にそれしか貰えない会社に入ってしまった者に対して、その言葉は失礼ではないか。「松島さん、寝ちゃだめですよ」もう名前を覚えて、宮野は気安く声をかける。

会社に入って少し経った頃、たまには同期だけで飲もうということになり、東京にいる営業関係のものだけ五人が集まった。昨日は給料日で、それに次長に誘われた麻雀で五千円ほど勝っていたから、私にも余裕がある。
たまたまその相談をしているとき宮野から電話があって、「だから今日、俺は遅いよ」と言ったのだが、俺も行くと言う。今、俺は金がない。二人で飲めばお前は二人分払わなければならないが、五人で六人分を割ればそれだけお前の負担も少なくなる。説明を聞いた仲間が面白がって、それじゃ一緒に来て良いよということになった。

その後も、宮野は何度も一緒にくっついてきたから、会社の人間のほとんどの名前を覚えた。依田は北海道出身で明治の経済を出た。マンガの「こまわりくん」のような顔でやけに調子が良い。どんな小さな話題でもすぐに猥談に転換してしまう才能がある。野沢は東海大の海洋学部を出てきた。船乗りになりたかったが、身体を少し壊したので海は諦めた。松島は松山出身で早稲田の政経だ。遅れてきた全共闘とでも言ったら良いか。酒は弱くてすぐ寝てしまうが、酔い始めた頃に必ず「インター」を喚く。亀山は一浪二留して富山大の化学を出てきた。学生時代肝臓を壊したということだが、一番酒が強い。酒乱の気味がある。宮野と酒で張り合えるのはこの男だけだった。
入社前、私は店頭での販売員のことしか頭になく、外商部門に回されるとは思ってもいなかった。喫茶店で客を迎える愛想笑いで鍛えられていたのか、私の第一印象だけは良かったようで、配属された部署の課長は入社を歓迎してくれたが、一ヶ月も経たないうちに化けの皮がはがれていた。私は全く無能だった。多少麻雀が強いと思われたことだけが取り柄で、面子不足に困った上司から時々誘いがかかる程度だ。

私は十二月の試験だったが、亀山は十月、野沢に至っては三月初めにようやく決まった口だ。依田と松島だけが少し早くて九月の試験で受かっていた。大卒で同期の入社は十六人いたが、就職協定解禁の五月に決まったものは一人もいない。予定人数がなかなか埋まらず、ずるずると、いつまでも募集し続けていた実態がようやく分かった。だから私のような者でも採用された。
翌年からはオイルショックの影響で、全国の会社の求人が極端に落ち、そのためにこんな会社でも競争率が上がり、私たちのような採用をされた者はその後いない。入社して『涼』後輩に、東大、京大など一流どころの卒業生が多くなり、確かに優等生だと思える顔が次第に増えていった。私たちはヤケクソで、俺たちは落ちこぼれの「花の四十九年組」と自称したが、それは後のことだ。
本当に給料は安かった。しかし、もっと安い給料でも仕方がないと思っていたこともあったことなど、私はとっくに忘れかけていた。

 履歴書だけを内ポケットに入れ、初めてこの会社を訪問したのは十二月の中旬だった。
 六月頃、就職部の前の廊下に貼り出してある掲示を見て、ある出版社の募集を見つけた。資料を貰おうとドアを開けた私に、「就職しようと思う人間が、下駄履きで来るんじゃないよ」と職員が厭味を言った。その瞬間、心が挫け説明も聞かず怱々に逃げ出した。それから、どこの会社を受けようともせず、私はただ、不安な心を抱えて途方に暮れているだけだった。
 文学部だから、経済や法律の学生のように素早く就職が決まる者は少なかったが、それでも夏が終わる頃にはほとんどの仲間の進路は決まっていた。ゼミの教授も心配してくれるが、だからと言って何をしてくれるわけでもない。このままではいけない、何とかしなければと言う思いは少しずつ生まれていたが、行動がなかなか伴ってくれなかった。シャドウの常連の早苗さんは「ひぃちゃん、ずっとこのお店にいれば」などと無責任に言うが、そういう訳には行かない。蒼子の前に胸を張って出られる男にならなければならない。

 その頃から新聞の求人欄を見るのが日課となったが、これというものが見当たらず、とうとうその年も暮れようとしていた。やっと見つけた求人は、「短大・高卒および見込み者」を募集するものだったが、この会社ならば好きな世界だから私にもできるかも知れない。短大と同等の給与でも仕方がないと、私は決心した。

 会場に当てられた部屋には二十人ほどが席についていたが、女ばかりだろうとの予想がはずれ、男子学生の姿が数人見える。担当の男が、大学生もいるようだからと二種類の試験問題を用意してくれた。試験があるのか。迂闊な私はただ面接があるばかりだと思い込んでいた。全員が机に筆記具を出しているが、私は鉛筆すら持っていない。
 「しょうがないな」と苦笑いしながら、しかし男は鉛筆と消しゴムを貸してくれた。
 問題は別にそれほど難しいわけではなかった。英文読解では、分からない単語が少しあったが、ケインズと資本主義の話であることが分かったから大丈夫だろう。文学作品と著者名とを線で結ぶことなどは私の領分だといってよい。

 試験が終わり、それでは午後は身体検査と面接があるので一時半に集まるようにと指示して、男は部屋を出た。ポケットには十円玉が二、三枚あるだけだった。みなが出て行った部屋の中で十分ほどぼんやりしていると、男が現れ、事情を聞いた。
 「じゃ、ここに名前を書いて、判子ついて」。「日当・交通費受領証」と書いてある。「ここまでの往復料金に、今日の日当千円がつくからね。」身体検査終了後に全員に書かせるつもりだったが、君には今渡しておこう。印鑑を押すようにと言われた私はまた赤面した。それさえも持っていない。「それで良く来たね」と笑って、サインでも良いという。親切な男だ。しかし入社試験に日当が出るとは知らなかった。貰った金で昼食をとり、やっと人心地ついて身体検査を受け、その後の役員面接もなんとか無事に終わった。
試験は難しくはなかったが、おそらく駄目だろうと思っていた。試験会場に筆記用具も持たずに行く。懐中にほとんど金も持っていない。印鑑もない。人事担当者がニヤニヤしていたのも不吉だ。常識というものを全く持たない男を採用するはずがない。
数日後、合格の連絡が来たので驚いた。宮野も安心した。『影』のマスターがお祝いだとネクタイを買ってくれた。

同期の連中と別れて阿佐ヶ谷に戻った私たちは、いつものように『涼』に寄った。
「結構、面白い奴ばっかりだった」宮野が安心したように言う。しかしすぐに不満気に「夕べは、俺、何回も部屋さ行ったんだ。何時ごろ帰ってきた?給料日だったべ。」と文句を垂れる。だから昨日は麻雀で遅くなったと言っているではないか。必ず定時に帰れるわけがない。
「宮野ね、ヒサシくんはあんたのご亭主じゃないんだよ」とお姉さんが呆れた声を出す。
「だって、昨日、飲みたかったの。だから今日、わざわざ会社に電話してやったんだ。」
「馬鹿、飲みたかったらひとりで来なさいよ。」

 私のサラリーマン生活は始まったばかりだった。仲間とはなんとか上手くやれそうだったが、既に私が全くの無能であることは知られていた。本当に仕事ができるようになるのだろうか。不安が一杯だった。