岩根山でツツジを見る   平成二十年四月十二日(土)

投稿:   佐藤 眞人 氏     2008.04.12


 完璧な行楽日和だ。昨日一昨日が雨、明日も天気は崩れそうだから、関東中の人がどっと繰り出した。東武東上線の下り電車には、同じ帽子を被った三十人ほどの高齢者の集団が乗っている。その他にもリュックを背負った連中が一様に、喧しく秩父線の話題を口にしている。小川町を過ぎた辺りから、桜が満開に咲き誇っている様子が見えてくる。先週の草加巡りで今年の桜は終わりかと思っていたのに、今週もまた花見ができるのだ。
 しかし頭の芯がズキズキしている。昨日はとても悔しい事件があって、暗澹たる気分で日本酒を飲みすぎたから、お腹の調子もいまひとつ良くない。
 今日は岳人の主催で岩根山の躑躅を見るのだ。「山」と言うが、どれほどの山なのか、私は全く知らないまま、誘われるまま参加した。
 こんなに混みあう秩父鉄道に乗ったのは初めてかもしれない。さっきの団体も「野上駅」と言い合っているから、同じコースを歩くのだろう。案の定、野上駅の改札は身動きが出来ないほどだったが、団体の間をすり抜けて切符を放り出していち早く外に出た。いつも思うことだが、秩父鉄道の運賃は高い。鶴ヶ島から寄居まで東武東上線は五十分ほどの距離で五百円。それに比べて、寄居から野上まで駅は僅かに三つ、十三分しか乗らないのに四百三十円である。
 トイレも長蛇の列になっている。宮沢賢治歌碑の前で煙草を吸いながら、トイレの空きを待っていると、改札の混雑で遅れた岳人がやってきた。更に遅れてサッチーの姿も見え、声をかけると「私のこと?あなた誰」と不審そうな顔をする。サングラスを取ると漸く気づいてくれたが、私は変装ができるということが分った。
 トイレから戻ると、次の電車で到着したドクトルがいる。しかし隊長がいない。「まだ家にいましたよ」岳人の連絡の手違いで、今日決行するとは思ってもいなかったらしい。なんとか追いかけてくるということなので、とにかく出発することになった。

 荒川は昨日、一昨日の雨のせいか、水が濁っている。ここは長瀞町だから当然岩を見ることになり、そうするとドクトルと岳人が地質学の話で盛り上がる。サッチーも地学ハイキングの常連だから岩には関心がある。変成岩?私は地学は全く勉強しなかったから駄目だ。「昔はさ、石は何百万円もするのがあったけど、この頃は誰も関心ないんじゃないの?」サッチーは面白いことをいう人だが、今だって、庭を造成しようとすれば結構な値段で取引されるのではないだろうか。

 最初は法善寺に行く。金嶽山と号し十六世紀中葉の開基になる。本尊は阿弥陀如来だ。寺自体はこぢんまりとしたもので、「長瀞七草寺」として藤袴を担当しているが、今の季節では枝垂桜が有名なのだ。赤い頭巾に涎掛けをかけた地蔵には「抜苦与楽」と刻まれていて、これに因んで、与楽の桜、阿弥陀の桜と名付けられた二本の木が町の天然記念物に指定されている。遠くの山や杉木立の緑を背景に、白、ピンクの桜が映える。枝垂桜のほかにも八重桜が多く満開の状態だ。
 道路を挟んで「警備本部」のテントが設置されているので、何事かと岳人が警官に聞いてみた。大型バスの通行やら、長瀞町の観光のためだと返事が返ってくるところに、ちょうど大型の観光バスが警備本部のすぐ向こうで、法善寺の駐車場にはいるところだった。
 「法善寺って歌にありませんか」岳人は歌謡曲に詳しくない。歌謡曲なら聞いて欲しい。藤島恒夫『月の法善寺横町』(十二村哲作詞・飯田景応作曲)、昭和三十五年の歌である。

 岩根山登山口から少しぬかるんだ山道を登る。そろそろ盛りを過ぎたようだが、薄紫のカタクリの花が咲いている。スミレが多い。たいてい「タチツボスミレ」だろうと、岳人と決めておく。何しろ今日は植物を特定する権限を持った人がいない。こういうときに植物班の美女たちがいるととても助かるのだが。午後、隊長が合流したら詳しいことを教えてもらおう。ツツジの濃いピンクも美しい。詰まらないことだが、文章のなかで「ピンク」と言う言葉を使うのはちょっと違和感があるが、桃色ではなんだかニュアンスが違ってくる。(桃色遊戯なんて言葉を思い出してしまう)撫子色と言えばよいのだろうか。
 車道に出ると、登り下りの車がなかなかすれ違えず渋滞していて、満足に歩くことも出来ない。止まっている車の左右を縫うように、少しずつ登っていく。途中で休憩しながら缶ビールを飲んでいる連中がいるから驚く。小一時間ほどもすると、躑躅園の入り口で、五百円の入園料を支払わなければならない。老人割引はない。
 まず簡単にパンフレットから引用しておく。
 岩根神社の境内、社務所前の山林一帯、そして参道の両側には樹齢百年を越す見事なツツジが千株もの大群落を作り、満開の時には全山花で埋まり壮観を呈する。(中略)
 このツツジは、明治三十五年頃より、当時の神職磯部染吉翁が多年の歳月と費用を投じ、多数の人を雇って山林を開き、秩父に自生していたツツジを移植したり、各種ツツジを購入して植えたものである。ミツバツツジ(俗称イワツツジ、ムラサキツツジ)とヤマツツジが多い。山桜、ソメイヨシノ、シダレザクラ、椿、藤も所々にあり、春の岩根山はまことに百花爛漫である。(後略)
 つまり、このツツジ園は岩根神社の所有になるのだが、まことにこの通りで、爛漫というか、繚乱と咲き誇る花が美しい。かつては棚田だったと思える、石垣で補強した段々にも綺麗にツツジが植えられている。休憩所の前には水芭蕉の白い花も咲いている。
 それにしても、明治三十五年と言えば、対露戦争を想定した八甲田山中雪中行軍で百九十九人が凍死し、日英同盟が締結された年だ。その時代に、はるか後の観光立国時代を想定してこの長瀞山中に躑躅を植えたのだろうか。
 この辺で弁当を広げている人も多いが、私たちは取敢えず岩根神社まで登っていくことにする。本殿の裏側の岩肌には小さな穴が穿たれていて、観音像が鎮座する。これを見て「埴輪かしら」と言うのはサッチーだ。岩には御嶽大神の幟が立っている。狐のような格好をしているが狛犬は明らかに狼だ。以下を見ると、狼信仰は三峰山から生まれ、秩父を中心に周辺へと伝播したものだと言う。
 寺社が興隆するには、奇瑞談か流行神を生み出すのが手っ取り早いが、この三峰神社の場合は、本尊そのものではなく、その眷属に着目をしたことが斬新であった。
 江戸では、稲荷が馬の糞と同等の多さで、町中に氾濫をしていた。この稲荷の狐にヒントを得たのであろうか。狼が守護するのは、仏(仏法)であると同時に、一般受け、大衆受けをする御利益を有していなくては支持されない。犬に似た、犬よりもどう猛という印象がある狼は、小獣退治をする動物として畑作等を営む農民に、商人等には、藏の番犬として、その需要が高まった。勿論、出現する山それ自体を守護し、時には山の神そのものの化身でもあったわけである。三峰から発生した狼信仰は、次第に周辺域に派生し、やがては秩父を出て、関東、東北へと伝播していった。(日本狼信仰)
http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/ookamimokuji.html
 狼信仰は古代からのものかと思っていたが、これによれば、たかだか江戸期以降のことに過ぎないではないか。ただ、上記の文献が学問的にどれだけの厳密さをもっているのかは判定できない。
 谷川健一『神・人間・動物』を開いてみた。こちらを読めば、狼信仰については古代以来のものではないかと想像させる。
 もともと狼という語は大神に由来するといわれ、『日本書紀』には狼のことを「かしこき神にしてあらきわざを好む」と表現し、万葉時代には「大口の真神」と尊称をたてまつっている。現に遠州水窪の近くにある山住神社は狼を眷族とする神社で、山住様と言えば、狼のことである。水窪を中心に山住講がもうけられ、例祭には代参者を送るのがつねであった。これと同様なのが、秩父三峰山に鎮座する三峰神社であり、その信仰は奥州衣川にまでひろがっていた。
それはともあれ、この神社から写した光景がパンフレットを飾っている。ここに来ている全員が本殿の前からカメラを構えて、パンフレットと全く同じ構図の写真を撮る。向こうに見える社は、大山祇(オヤマツミ)神社である。(後で、そこまで探検してきたドクトルの報告による)手前には枝垂桜や濃淡の違う躑躅が満開に広がっている。

   誰も皆同じ写真の躑躅かな  眞人

 棚田のようになっている適当な叢で、スミレやタンポポには申し訳ないが、その上にシートを広げる。そばに一本、変わった形の草が生えていて、サッチーが、「トラノオとかなんとか、何だったかしら」と悩んでいる。まだ葉が充分開いていないが、私は恐る恐る、「マムシ草ト言ウモノデハナイデショウカ」と提案して褒められた。(隊長にも確認してもらった)
 ドクトルと岳人はコンロをセットした。ドクトルのインスタントラーメンにはアスパラが入る。それを切り刻むために、たまたま私のリュックに入っていたアーミー・ナイフが役に立った。以前、鹿沢高原旅行の際に軽井沢に寄ったとき、隊長と一緒に買ったやつで、はじめて活躍の場を得たが、余りにも刃物の種類が多く、どこにナイフが潜んでいるのか探すのに苦労する。小さな鍋だからすぐに湯が足りなくなるようで、沸騰しているところにドクトルが水を注ぐ。「あーっ、駄目々々。のびちゃうわ」ラーメンにビックリ水は良くない。「ベーコン忘れちゃった」と言うが、こういうところで食うラーメンは充分旨い。
 岳人はクラムチャウダー(と言うものだろうか)を作る。旨い。サッチーは昨日「ヤブ用で(野暮用?)」外出していたから何も作れなかったと言いながら、それでも即席の漬物を出してくれる。大根を短冊状に切ったものとキウリを、ポン酢と胡麻油(五対三の割合で混ぜ合わせる)に、朝漬けてきたのだそうだ。旨い。彼女が言うほどしょっぱすぎはしない。酒のつまみに丁度良いが、私の体調はまだアルコールを想像するところまで回復していない。
 のんびりと、暖かい食事を楽しんでいると、隣のほうに陣取った四人組のコンロが燃え出した。あちらの方はガソリンを使用するもので、そのガソリンをこぼした所に引火したのだ。ガソリンの臭いが漂い、そのうち、鍋の取っ手が燃え出し、やがてコンロは死んだ。「温かいお茶が欲しかったのに」と奥さんらしい女性が愚痴をこぼしているのが聞こえる。
 岳人とドクトルのものはガスを使用する。岳人によれば、ガスとガソリンでは一長一短があり、かなり高度のある山では気圧の関係で、ガスは充分な火力を得られないらしい。しかし、今日程度の山ならば、断然ガスのほうがお勧めだろう。大体、ガソリンを運んでくるのはとても危険なことではないだろうか。

 あらかた食べるものもなくなりかけたところに、野上駅に到着したと言う隊長の連絡が入った。それなら隊長が来るまで、ここでゆっくり休憩だ。
 岳人は横になって目にタオルを充てて本格的な休憩スタイルに入った。サッチーは腹這いになって三笠宮崇仁の古代オリエント学の本を読み始める。山に来るのに、こんな重い本をリュックに入れている人は珍しいだろう。ドクトルは写真を撮ってくると、その辺の探検に出かけた。北大探検部はどこに行っても探検をしなければならない。私はお腹の調子を整えるために、トイレに並ぶ。
 時間が充分にあるから、写真も一杯撮る。私は紅葉と言うのは秋のものだとばかり思い込んでいたが、枝一面に小さな紅葉の葉が赤く色付いているのはとても綺麗だ。白地に血が滴っているような椿を見る。真っ赤な椿の花が、花の形のままで大量に水に浮かんでいるのを見ると、どうも椿には血を連想させるものがある。シデコブシを前にして、三人の女性が、これは何かしらと悩んでいる。私は教えたかったが、間違っていては申し訳ないから黙って通り過ぎた。後で隊長に確認してシデコブシに間違いないと分った。
 また隊長から岳人へ連絡が入った。躑躅園の入り口にいるらしい。五百円払わなくても車道を歩いても来られると岳人が言っている。それから二十分もしただろうか、隊長が到着したのは二時頃で、すぐに岳人がお湯を沸かし、スープとカップラーメンを作り、おにぎりも提供する。「それじゃ私たちはコーヒータイムにしよう」ドクトルもお湯を沸かす。ドクトルが持参したのは、紙カップ五個に、五人分に小分けしたインスタントコーヒー、砂糖、ミルクの小袋がセットされているものだ。便利なものがある。
 こんなのんびりしたハイキングは久し振りだ。

 これから葉原峠を目指す。もうここから上に行く車はあまりないから、さっきのように歩くのにも難儀をするようなことはない。紅白の幔幕を張っているのは、金を払わずに光景を見ようと言う不心得者を防ぐためだろう。しかし、幔幕はファスナーで繋がれていて、それを外したり、少し開いているところをカーテンのように開いて、望遠月のカメラを覗きこんでいる連中もいる。「ああいうカメラだと、パンフレットのような写真が撮れる。だいたい、カメラの良し悪しで決まるんだ」腕はあまり関係ないとドクトルは主張する。
 隊長に聞こうと思ってさっき撮った白い花を見せると、クサイチゴだ。背が低いから草かと誤解するが、バラ科キイチゴ属のれっきとした木本である。シソのような葉が三枚、その裏には棘がある。「モミジイチゴもある筈だよ」と言っている傍から、「ほらほら、これ」と指差してくれる。花は五弁で、下を向いているから、見上げる形で写真を撮る。黄色の実をつけるので別名キイチゴと言う。
 タチツボスミレばかりかと思っていたのに、白っぽく、葉が細く裂けているものを見つけると、それはエイザンスミレである。叡山菫。花の色には変化が多い。
 葉の裏が紫色、というよりも少し茶色っぽいのはノジスミレ。野路菫。花だけを見ても区別は付かない。葉の形とか、托葉とか様々な条件を検討しなければ、軽々にスミレについて判断してはいけない。斜面から水が湧き出して小さな滝になっていてサッチーが歓声を上げる。
 九十九折に曲がりくねっている車道から、真っ直ぐ突っ切って上る山道に入る。やはり土の地面を踏みしめて歩くのは気持ちよい。登りきれば、そこには葉原峠の石標がある。ここから岳人を先頭にして尾根伝いを歩く。杉の幹の地面から一メートル程のところで皮を綺麗に剥がされているのは、間引きのために枯らすのだ。間伐した木も下に運ばれずにそのまま放置されている。山林保護のために間伐や間引きは行うが、それを再利用するためにはコストが合わないということか。
 途中、道が分岐するところに庚申塔が立っている。岳人はちゃんと知っているから迷わずに目指す方向を選んで進んでいく。

 私のすぐ前を歩いていた隊長が、小さく「あっ」と声を出して、胸や尻のポケットを探り始めた。何か落としたのかしら。「財布?」違う。「手帳?」違う。「携帯電話がないんだ」
 リュックを下ろして荷物を点検している隊長に、念のために電話をかけてみるが、確かに呼び出しているのに、近辺から音が聞こえない。いったんは諦めかけて歩き始めたが、「戻ってみる。申し訳ないけど、先に行って頂戴」と言う隊長に、「それじゃみんなで戻りましょう」とサッチーが提案して、携帯電話捜索隊が結成された。隊長は頻りに済まなそうに謝るが、何、私にしてみれば、どこへ行こうが同じことだ。
 私と岳人が、要所々々で電話をかけながら歩いて行くが、一向にそれらしい音は聞こえない。隊長は慌てているから、さっきの分岐点を曲がらずに真っ直ぐに進み、冷静な岳人が注意を促す。どんどん戻って行く。登っていたときは気がつかなかったが、葉原峠からは随分遠くまで進んでいたのだった。
 車道に戻っても電話の発信音は聞こえない。さっきの神社にもない。ところで、電話はどこまであったのか。「だから駅から出て踏み切りのところでかけたよ」しかし、その後、五百円の入園料を支払うところでまた連絡を取り合ったはずだ。「あっ、そうか」
 園内には入らずに、車道を降りていく。何度電話をかけても、呼び出しているから死んではいない。他人の手にも渡って居ないと思われる。入り口まで戻って聞いてみても届けられていない。周りを見回したが駄目だ。社務所に連絡してみろというおじさんの言葉で岳人がかけてみるがやはり届いてはいない。谷底に落ちてしまった可能性が高いのではないか。枯れ草の上に落ちたから気がつかなかった。それを車か人の足が跳ね飛ばして落ちていった。下は柔らかい草だから壊れもしないで、ひたすら、私と岳人の電話を取り次ごうとしても、近くにそれを気づく人もいない。そういうことではないだろうか。
 隊長も諦めた。あとは野上駅に戻るだけだ。

 今度はもういちど風景を堪能しながらゆっくり歩く。ネコノメソウに気づいたのは岳人だ。ユキノシタ科メコノメソウ属。先日見たトウダイイグサに似ている。「もう一つ、似ているのがあるんだ」それもあっちゃんに教えてもらった。「ヤマウルシ?」「ノウルシだよ」残念、外れた。そういえばヤマウルシは木本であった。薄紅色の美しい葉を見たことがある。
 黄色の花を隊長に聞けばヤマブキだ。先週も美女二人に教えてもらったのに、私はもう忘れている。白いスミレが咲いている。葉は細長い。流石の隊長も判定できず、ブログで公開したら、世のなかには奇特な人が大勢いる。アリアケスミレというものらしい。有明菫。

   失せものを探し歩きて菫花  眞人

 白い花は桜だろうか。先週「プラムかしら」と阿部さんが言っていた花に似ているような気がする。
 駅が近づき、民家の畑と歩道との段差になっているコンクリートの裂け目から、紫色の濃いスミレが見つかった。葉は丸く大きくて葉脈に沿って白い斑が入っている。隊長の鑑定でフイリゲンジスミレという。斑入り源氏菫。スミレは実に難しい。
 途中から引き返しはしたが、岳人の計算では、そのまま目的地まで行ったとしてもほぼ同じ距離を歩いたことになるらしい。ドクトルの万歩計は二万二千歩を記録した。

 秩父鉄道に乗って寄居まで戻る。上総屋はつまみの種類が少ないから(だって蕎麦屋だから当たり前だ)、今日は「華屋与兵衛」にする。「ここはレストランだから、お酒も呑まず、真面目に食事だけで帰るのかい」ドクトルは真面目な顔で時々おかしなことを言う。生ビールを頼んでいる間、隊長は最寄の交番に紛失届けを出した。焼酎。私の二日酔いはほぼ回復したとはいうものの、胃にまだ若干の違和感がある。焼酎のボトルが一本空いたところでワインに切り替える。岳人とサッチーは日本酒にしている。
 隊長の携帯電話紛失事件は不幸だが、今日の企画自体はとても楽しいものだった。
眞人