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    平成二十三年四月二十三日(土) 芦ヶ久保「山の花道」

    投稿:   佐藤 眞人 氏     2011.4.29

     六時半頃マリーの電話で起こされた。「大雨だから私は行かないよ。大雨なんだからね。」部屋の中は明るいし、カーテンを開けると日が照っている。しかし天気予報では確かに東北関東全域が大雨になるらしい。川口市内はもう大雨が降っているのだろうか。「ホントに行くの?」と妻も呆れているが、台風でもない限り中止になることはない。降るとしても今日の雨は低気圧の影響だから、台風ほどではないだろう。
     隊長から入った昨日の連絡では弁当は不要、昼は「木の子茶屋」でうどんを食うことになっている。しかしそれだけでは腹が減る。隊長は「木の子飯」というのも薦めてくれたが、乏しい小遣いで無駄遣いは慎まなければならず、妻にお握りを一つだけ作って貰った。
     旧暦三月二十一日、暦の上ではもう晩春と言って良い季節なのに、今年の春は真面目さが足りない。桜は咲いた。紫木蓮もハナミズキも咲いている。しかし全体的に寒い日が続き、ストーブを片づけるにはまだ時間がかかりそうだ。
     こんな時に秩父の山に雨が降ったらどうなるだろうか。冬物はとっくに仕舞い込んでしまったから、とりあえず合羽を着て、薄手のジャンバーをリュックに放り込んだ。昨日の酒が少し残っているようで頭が少し重い。川越線の的場駅まで歩くと汗が滲んできて、合羽を脱いでリュックにしまった。
     八時十五分に出て、東飯能で八時五十二分の西武線に乗り換える筈だったのに、途中八高線に五分ほどの遅れが出て、西武線の階段を降りている途中で目的の長瀞行き電車は出てしまった。それぞれ本数の少ない路線である。西武はもうちょっとJRと連携しても良いのではないか。次は三十分も待つのかとうんざりしていると、おかしな時間に電車がやって来た。
     九時七分というのは時刻表にはないが、見れば確かに秩父行きだ。西武鉄道はちょうど今日から、羊山公園のシバザクラ観光を当て込んで臨時列車を増発していたのだ。但し東飯能の西武線は上り下りとも同じホームだから紛らわしい。ホームには私の他に、やはり秩父方面に向かう四五人のグループがいたが、臨時列車の存在が理解できないようで乗り込もうとしない。駅の案内放送も確かに分かり難かった。
     結局電車に乗ったのは私だけだった。車内には七八人の高齢者グループと、携帯を握りしめて画面に見入っている若い女がひとり乗っているだけで、これでは西武は随分当てが外れたことだろう。「みんな自粛してるのかな。」「地震が怖いんじゃないの。帰れなくなるのが心配なのよ。」「人が少ないから今夜はのんびり出来そうですね。」大きな声だから会話が全て聞こえてくる。どうやら芝桜を見た後で近くの温泉に一泊するようだ。人が少ないのは大雨予報のせいだろう。
     高麗駅前のジャングンピョ(将軍標)を眺めて、高麗を歩いたことを思い出していると、武蔵横手を過ぎた辺りから窓の外は雨模様になってきた。そして吾野の辺で携帯電話が鳴った。「蜻蛉さんですか?」桃太郎だ。「今電車の中だよ。そちらはどこなの?」「東飯能です。」正丸トンネルが近付いてきたせいか声が聞き取り難い。彼も八高線遅れの影響で西武線に乗り遅れてしまった。到着が十時二十分頃になるから先に出発してくれと言う。「後から追っかけますよ。」「大丈夫、待ってるから。隊長に言っておくよ。」
     九時四十七分頃、芦ヶ久保駅に着いた。秩父郡横瀬町である。降りたのは勿論私だけで、改札を出てみると駅前広場にはまるで人間の姿というものがない。そもそも九時頃から待機している筈の隊長の姿が見えないのがおかしい。私は何かとんでもない勘違いをしているのだろうか。ひどく濡れるほどではないが小雨が降っている中、こんな田舎の駅前に一人立っていると急に不安が募ってくる。隊長に電話した途端に本人が外から現れた。「すぐそこの道の駅でお茶を買ってきたんだ。」良かった。それにしても、普通だったら常連の大半は私が乗れなかった電車で来る筈だ。余りの人の集りの悪さに隊長も苦笑いをしている。「桃太郎が少し遅れるって言ってた。」「ウン、こっちにも連絡があったよ。」
     昨年の一月には、この芦ヶ久保駅前で後続電車を待ちながら寒さに震えたが、今日はそれほどでもない。寒いようでもやはり春だが、それでも平地よりは気温が低いので、もう一度合羽を着こんだ。
     もしかしたら今日は三人だけになってしまうかと心配しているうち、十時二分着の電車でドクトル、チイさん、伯爵夫人がやって来た。「隊長と蜻蛉は必ずいると思ってた」とドクトルが笑う。これでも現れないのだから、宗匠やロダンは雨に恐れをなしたのだろう。ダンディはあんみつ姫が主宰する越谷支部のイベントに参加すると言っていたから来ないのは分かる。
     二十二分には桃太郎も到着して、本日の参加者は、ドクトルの表現で「善男善女」六人と決まった。六人のうち私を含めて半分の頭の形を見れば、六地蔵と言っても良いかもしれない。
     桃太郎はズボンの裾にスパッツを装着し、更にカバーを出してリュックにつけている。準備の良いことだ。隊長もリュックにカバーを嵌めている。私はそんなものはないので、念のためにリュックをビニールで覆ってきた。二枚百円で買ったビニール風呂敷である。チイさんは気温を確かめるように、一度着た合羽を何度も脱いだり着たりして、結局着たまま歩くことに決めたようだ。
     本来の計画では日向山に登るのだが、雨や地面の状態によってコース変更の可能性がある。それにしても伯爵夫人の足元は身軽な短靴で、どうも山道を歩くようではない。さて今日はどこまで行けるだろうか。

     駅を出て国道を渡り白髭神社を過ぎて曲がると、茂林寺のところからすぐに急な上り坂になる。雨は大したことはなく、桃太郎は傘もささずに歩いている。
     選挙カーが走りながら、頻りに候補者の名前を連呼するのが煩い。「苦戦しています。最後のお願いに参りました。」ほかに人影はなく、家だってまばらにしか建っていない。「何とぞよろしくお願いします。」私たちにお願いされても無駄である。「あれは何とかならないものだろうかね。」ドクトルもうんざりしている。
     この辺は去年歩いた道だから、途中までは言われなくても分かっている。急いでいるわけではないが気がつくと先頭になってしまった。かなり急勾配の坂道で息が切れたが、漸くビニールハウスのイチゴ園と、その向かいにある四阿が見えてきた。「以前もここで休憩しましたね。」追い付いてきた桃太郎も声を出す。チイさんはあんまり厚着をしてきたものだから汗をビッショリかいて、カッパの下の服を脱ぎ始めた。「頭にも汗かいちゃった。」
     枝垂れ桜が満開だ。連翹、ユキヤナギ、桜、モモ、山吹も色鮮やかに咲き誇っている。晩春の秩父は春真っ盛りである。一つの木に紅白の花を付けている源平桃もある。「こういうのって不思議だよね。」実に不思議だ。

     繚乱たり秩父の春を六地蔵  蜻蛉

     菜の花畑の向こうにかすかに煙る春の山は、夏や秋の山とは違って、薄い緑や黄、茶が淡いグラデーションをなして柔らかい。麓の方には所々に白い桜が間を置いて咲いていて、それもアクセントをつけている。舗道脇の草むらにはムラサキハナナ(花大根、諸葛菜)が群がって咲いている。ドウダンツツジの白い小さな花もあちこちで目につく。時々雨脚がやや強くなり風も出たりするが、それもほんのちょっとですぐに止む。
     「あの濃いピンクの花はなんですか?」「あれはハナズオウだよ。」花蘇芳。ジャケツイバラ科、またはマメ科。まだ蕾の状態の一つ一つはピーナツのような形で、それが集まった艶々した小さな塊が、枝に直接いくつもついている。その赤紫の色が鮮やかだ。

     粉糠雨山煙りたり花蘇芳  蜻蛉

     グミ(茱萸、胡頽子)の花というのも教えてもらう。グミ科グミ属。白い筒状の先端が四つに裂けて開き、薄らと黄色がかった白い花が緑の葉の中で綺麗だ。私はどうやらこの色の組み合わせが好きなようだ。「美味しいんだよ」と隊長は言うが、グミなんて食ったことがない。ウィキペディアで調べると、サクランボのような実は、渋みと酸味にかすかな甘みが混じっていると言う。
     やがて舗装道が大きく曲がるところから、「丸山県民の森」へ向かう細い登山道へ入っていく。やはり舗装された道ではなく、山は土を踏んで歩くのが良い。ロダンがいれば「心が洗われる」と何度も口走っただろう。樹々の間に入ってしまえば雨はほとんど感じられなくなり、時折薄日もさしてくる。赤紫のツツジが鮮やかで、ちょっと風が吹くと桜吹雪が舞う。

     さくら舞い 道行く人を 雨雲も 見守りつつの 日向の山よ   千意

     チイさんは短歌も作ってしまった。やがて隊長はネットで閉じられた区画に入って行く。「これで我々は檻に入った動物になるのか。」害鳥獣防止のための防護網である。全員が入れば、もう一度閉めなければならない。
     「熊が出るんですか?」伯爵夫人が心配そうな声を出し、「熊は出ません。そのかわり鹿が出ます。猪も出るんですよ」と隊長が応じている。安心させるための言葉だろうか。熊より猪の方がましかどうか、どっちにしてもあんまり出会いたくはない。
     地面から二股に伸びた白樺の木の前で、隊長が立ち止まって薄い木肌を剥がしている。「これが油を含んでいるから燃えやすいんだ。」遭難した時はこれを集めて火を焚く。これは何年か前に軽井沢を歩いた時にも教えてもらったような気がする。「だけど生木は燃えないよ。」その後から、遅れてしまって隊長の言葉が聞けなかった桃太郎も、「火がつきやすいんですよ」と同じことを言う。白樺を見れば山男が必ず口にする話題なのかも知れない。今日の桃太郎はなんだか遅れがちで最後尾をゆっくり歩いてくる。後衛の積りなのかそれとも宿酔いのせいなのか。
     「白いからシラカバですよね。白くないのもあるのかな。」登山家の桃太郎にとっては、こんなことは常識ではないのだろうか。シラカバは、カバノキ科カバノキ属の一種である。ほかにダケカンバ、オノオレ(初めて聞く名前だ)、ハンノキ、ハシバミなどがあるらしい。ダケカンバの木肌は淡褐色、オノオレは灰色だそうだ。
     「アッ、ヒトリシズカだ。」四枚の葉の付け根から、白い毛が疎らに生えたブラシのような花が一本伸びている。見渡せばあちこちに咲いている。センリョウ科チャラン属。別名ヨシノシズカ(吉野静)も呼ぶらしい。これが静御前を連想させたのは「可憐さを愛でて」(ウィキペディアによる)のことだそうだが、静御前は「可憐」か。頼朝の前で「しづやしづしづの苧環くり返し昔を今になすよしもがな」と舞って、義経への想いを明からさまに表現したことをみても、私はむしろ、かなり強情な女性を連想してしまう。

     光浴ぶ一人静に立ち尽し  蜻蛉

     「どうしてヒトリなんだろう?」フタリシズカというのもあるからだ。「三人シズカはないのかな。」フタリシズカには、花茎が二本だけでなく三本、四本立ったものもある。
     「これはサトイモかな?」草むらの中に桃太郎が見つけたものを、私はマムシ草ではないかと思っていたら、隊長はミミガタテンナンショウだと言う。「ほら、耳たぶが付いてるようだろう。」なるほど仏炎包の両脇が耳のように張り出していた。サトイモ科テンナンショウ属。天南星と書く。似たような仏炎包をもった仲間に、ウラシマソウ(浦島草)、マムシグサ(蝮草)、ムサシアブミ(武蔵鐙)などがある。
     漢方ではこの属の根茎を生薬として、それに生姜を加えて焙煎すると製南星と呼ぶ。鎮痙作用、去痰作用や鎮痛、消腫の効果が期待される。しかし天南星の意味は分からない。この植物を見て星を連想するのは只事ではないような気がする。どちらかと言えば不気味な形態で、あるいは現実の星ではなく、算命学とかいうものに関係するかも知れない。私は占いの類は不案内でまるで理解はできないが、算命学の方面では十二大従星というカテゴリーに天南星が含まれているようだ。
     左に降りて行くとすぐに舗道に出た。木の子茶屋はすぐ近くのようだが、十二時半頃に行くと隊長が連絡しているから一時間ほど時間調整をしなければならない。
     薄い黄緑をした五センチから十センチ程の、穂のようなものが並ぶようにぶら下がった木はなんだったろう。遠目には虫がいくつもぶら下っているように見え、前にも教えてもらった記憶があるのに名前が思い出せない。「あれ、なんでしたか?」「キブシだよ。」そうだった。キブシ科キブシ属。「木五倍子」と書く。「これは雌花だよ。」
     木五倍子と書くからには、木でない五倍子もあるだろうと思うと、やはりちゃんとあった。ヌルデの葉に、アブラムシが寄生して虫癭を作ることがある。黒紫色のアブラムシが詰まった虫癭が生薬としての五倍子(フシ)で、腫れものや歯痛の治療に用いられる。またタンニンが豊富に含まれているため、皮なめしに使い、また黒色染料の原料として用いられた。染物で空五倍子色(うつふしいろ)と呼ばれるのがそれで、既婚女性のお歯黒にも使われた。
     キブシは、雌株の実から黒い染料が採れるため五倍子の代用として用いられた。五倍子の代用になる木だから木五倍子なのだ。
     「これ食べられるんだよ。」隊長の言葉を聞いた桃太郎が、節がやや赤っぽい竹に似た茎の皮を毟って噛んでいる。「何なの?」「イタドリ。」虎杖と書く。タデ科。「旨いものなの?」「そんなに旨いってわけじゃないです。」
     茎を折ればポコッと音がするのでスカンポ(酸模)の別名がある。また同じタデ科にスイバ(酸葉)というのもあって、これもスカンポと呼ぶ。更にカタバミ(酢漿草)をスカンポと呼ぶ地方もあるらしい。
     この辺の考察については「横手/方言散歩」(http://dialect.riok.net/pageE03.html)が詳しい。子供の頃に野原で遊んだことのない私はこんなことを初めて知るが、それでもスカンポと言う名前はお目にかかったことがある。

     すかんぽを齧る漢に薄日さす  蜻蛉

     ネットを検索しているうちに、『すかんぽの咲く頃』(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)に出会った。私は知らなかったし、堀内敬三・井上武士編『日本唱歌集』、与田準一編『日本童謡集』、岩波文庫『北原白秋詩集』を探しても載っていない。

    土手のすかんぽ、ジャワ更紗 昼は蛍が、ねんねする
    僕ら小学尋常科 今朝も通って、またもどる
    すかんぽ、すかんぽ、川のふち 夏が来た来た、ドレミファソ

     ここに出てくるスカンポが、虎杖なのか酸葉なのかは分からない。「小学尋常科」のところは、戦後は「小学一年生」と変えて歌われたようだ。国民学校を経験した隊長や、講釈師、ダンディなら知っているんじゃないだろうか。
     なお、この歌を「小学唱歌」としているものもあるが、大正十四年の『赤い鳥』に発表されたという記事も見つけた。そう言われれば小学唱歌のようではないね。こんな歌も見つけた。これはイタドリのことを詠んだそうだ。

     すかんぽの茎の味こそ忘られね いとけなき日のもののかなしみ  吉井勇

     透き通った白い穂のように、小さな花をたくさんつけたのは何だったかな。記憶があるのだが、やはり隊長に訊かなければならない。「ウワミズザクラだよ。」そうだった。「これがサクラかい?」とドクトルは不思議そうな声を出す。知らなければ、これが桜だと正解を出せる人はいないだろう。まるでイメージが違うのである。上溝桜。バラ科ウワミズザクラ属(またはサクラ属)。
     また山に入っていくと、見たことのない花を見つけた。誰も注目しないのが不思議だが、隊長に訊いてみた。「ナツトウダイ(夏燈台)だね。」トウダイグサ科トウダイグサ属。これがトウダイグサの仲間なのか。トウダイグサと言えばネコノメソウと区別が難しくて、もう少し平べったい、地面にへばり付いたものだと思っていたが、これはずいぶん印象が違う。細長い葉が五枚、その付け根から茎が五本伸び、それぞれ先端の二枚の苞葉が、中身を包み込むようにしている。
     クサイチゴの白い花。城西大学に行く途中の道端や体育館裏手の丘に群生していて、私は最近よく見ている。「これは木本だな」とドクトルが確認しているが、そうだったのか。私は草本だとばかり思っていた。念のためにウィキペディアを見ると、確かに「落葉の小低木」と書かれている。バラ科キイチゴ属であった。
     分岐点に出て、「木の子茶屋を経て芦ヶ久保へ」の標識に従って下って行く。渓流に架かる橋は三メートルほどの丸太を三本渡しただけのもので、皮を剥いだ丸太は思った以上に滑りやすい。伯爵夫人は何の恐れもなくすっと渡ってしまったが、岩登りで鍛えた筈(あまり関係ないだろうか)の桃太郎が最も慎重にゆっくりと渡って行く。その後ろに私もへっぴり腰で、足を逆ハの字にして摺るようにして漸く渡った。

      鶯や腰を屈めて丸木橋  蜻蛉

     「これはナガバノスミレサイシン。」僅かに紫の痕跡が残る白いスミレだ。一般のスミレに比べて葉が長いから「ナガバ」で理屈はあっているが、「サイシン」が分からない。「ウン、カタカナで書くよ」と言うのが隊長の答えだ。「漢字で書いて貰わないと分からないわ。」伯爵夫人も悩んでしまう。「最新じゃないよ」とドクトルは笑うが、さてそれではどう書くのか。調べた結果、「長葉の菫細辛」と分かった。スミレサイシンはスミレ科スミレ属である。

    スミレサイシンは北海道西南部と本州の主に日本海側に分布する多年草。日本のスミレの仲間では最も大きな葉をつけるもののひとつ。山地の落葉樹林下に見られ、イチリンソウやカタクリ等の早春植物と共に開花する。中国地方では中国山地の山麓に多い。花はスミレの仲間としては比較的大きくて、直径三センチ程にもなり、紫色からほとんど白色に近い紫色。古く大きな株は多数の花をつけ、ちょっとしたブーケの様にも見える。
    http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/violaceae/sumiresaishin/sumiresaishin_01.htm

     少し登って満開の桜を見ながら四阿で休憩した後、広い駐車場に出る。車は一台も停まっていない。ここから見る武甲山の裾の辺りには白い雲が波のように漂い、頂上は煙っている。駐車場に接して木の子茶屋がある。秩父郡横瀬町大字芦ヶ久保四〇五番地。
     入口を入るとすぐに鹿の剥製と顔を突き合わせるのは、あまり気持の良いものではない。内部の天井や柱は山小屋風で、畳敷きの大広間の壁には猪の首も飾られている。私にはとても趣味が良いとは思えない。テーブルの真ん中には丸い穴が開いている。「ここに鍋を置くんですよね。」なるほど、猪鍋や鹿鍋もメニューに入っている。「こうして座り込んじゃうと、なんだか居酒屋に来たみたいですね。」「掘り炬燵になっていれば、もっと良かった。」
     隊長がわざわざ予約を入れたのは、普段だったら観光客で満席になるからだろう。駅までの送迎バスも出ている位だ。鹿や猪のバーベキューを目当てに来る客も多いらしい。店にとっては生憎のことだが、私たちにとっては素敵なことに、他に客がいないからのんびりできる。
     木の子飯二つはもう用意されていて、席に着くとすぐに出てきた。それをドクトルと桃太郎が取った。隊長は自分の分も予約したらしいのに、どういうわけか注文が通っていなかったようだ。「追加で頼んだら?」「良いよ。」「これ分けようか」とドクトルが言うが、隊長は「イヤ要らない」と首を振る。
     次いですぐにうどん、蕎麦の順で出てきたから、やはり時間に合わせて作っていたようだ。隊長、ドクトル、私は山菜うどん、桃太郎はナメコうどん、チイさんがオオモリ蕎麦、伯爵夫人は山菜蕎麦。伯爵夫人は天麩羅蕎麦が欲しかったのだが、ここではそんな手間のかかるものは作らない。
     「これじゃ食べ過ぎになっちゃう」と言うドクトルに木の子飯を少し分けて貰って、それにお握りも食べたから、私の方が食べ過ぎになってしまった。チイさんは、「私もお握りを持ってきたけど、朝の電車の中で食べてしまった」と言う。
     「蕎麦はシコシコして美味しい。」豪農チイさんが言うとなんだか説得力がある。「おつゆがとっても美味しかったです。」伯爵夫人も感激したように言うし、うどんも木の子飯もとても旨かったと皆が言うのが不思議だ。私には「とても」と言う程に思えなかったのは、味覚が鈍いせいだろうか。値段相応というものではないか。山菜うどんは六百円である。
     ゆっくり休憩して店を出る。靴を履いて売店のレジで一人ずつ会計をしていると、オバサンが「生シイタケはいかがですか」と声をかけてくる。外に出ると、三人組の若い男女が店の裏の方で写真を撮っているのに気付いた。ちょっと覗いてみると、「大黒様の石」(意味は不明だ)と言う岩石が置かれていて、その脇の竹の樋に水が流れていた。「ちょうど良かった」と桃太郎は空のペットボトルに受けて飲んでいる。大丈夫かしら。「大丈夫ですよ、湧水でしょう。」傍には大きなツツジの木が真っ赤に花を開いている。

     駐車場を超えて木の階段を「花の山道」に降りる。階段の途中にはドウダンツツジが垣根のように植え込まれていて、隊長が伯爵夫人に「スズランみたいでしょう」と教えている。通路はロープで仕切られ、その外側に見るべき野の花が咲いているのだ。最初に出会ったのはカタクリだが、僅かに残っている花はもうすっかり色褪せて、へこたれてしまったようだ。
     「アズマイチゲだよ。」これは先月の入間丘陵でも教えてもらった筈だ。キンポウゲ科イチリンソウ属。花弁が完全に開かず、下を向いたままだと素人には判別がつきにくい。「あれですよね。」「違うんじゃないか。花の形が違う。」開ききれば、菊のような花が分かる。「そうか、葉の形が同じだな。あの下を向いているのも同じだ。」最初は疑っていたドクトルも納得してくれる。
     「ミヤマエンレイソウがある筈なんだ。」なかなか見つからなかったが、やっと数輪咲いている場所に出た。案内板にはヒガンバナ科エンレイソウ属とあったが、ウィキペディアではユリ科と言っている。別名シロバナエンレイソウとも言う。大きな三枚の葉の付け根に白い小さな三弁花が咲く。深山延齢草と書く。「延齢」と書くからには漢方薬になるのだろう。
     ニリンソウも群生している。キンポウゲ科イチリンソウ属。「どこが二輪ですか?」「ほら、そこにもう一輪あるだろう。」開花の時期にずれがあるようで、咲いている花とセットになっている筈のもう一輪は、ほとんどがまだ蕾の状態だ。それでも大きさは違うが二つの花が咲いているのを見つけて写真を撮る。「葉がトリカブトと似ているからね。注意しなくちゃいけない。」二輪草の葉は食えるが、鳥兜を食べてはいけない。「これがトリカブトだからね。」隊長に示されても私は判別ができない。
     「これがセツブンソウだよ。」隊長の言葉と看板の絵を見比べながら確認する。「接吻じゃないからね、節分だよ。」その名の通り花はとっくに終わってしまって、葉の特徴を覚えなければならない。不規則に細く裂けているのが特徴のようだ。
     白い胡麻粒のような小さな花をたくさん付けているのはセントウソウ。セリ科セントウソウ属。平地でもよく見かける花だ。誰に聞いたのだったろうか、春に先駆けて最初に咲くから先頭草と思い込んでいたが、ちょっと違っていたようだ。

    名前の由来はわからないと牧野(富太郎)も書いている。岡崎(純子)は仙洞草の字を当てている。別名をオウレンダマシといい、これはオウレンに似ていることによる。(ウィキペディア「セントウソウ」)

     「これも耳形天南星ですよね。」「これは耳たぶのようになってないよ。マムシグサじゃないの。」茎の模様がマムシを連想させる。「それでなのか、初めて知りました」とチイさんが驚く。
     更に先を行く隊長が珍しいもののように指さしていたので、少し遅れてドクトルと一緒に覗き込んでみると、不思議な花が咲いている。葉や茎は蕗に似ているようで、茎の根元の土に隠れるように咲いているのが暗紫色の花だ。壷の上部を三つに開いたような形をしている。「陰気な花だな。」ドクトルがあっさりと断言してしまうように、実に暗い花だ。これはウスバサイシン(薄葉細辛)、ウマノスズクサ科である。
     「これもサイシンかい。さっきのナガバノスミレとは随分違うじゃないか」とドクトルが文句をつける。しかし、「細辛」の名はこちらのほうが先だった。これに似ているからスミレサイシンと名付けられたと言うのである。この陰気な黒い花と白いスミレと、どこが似ているのか。私にはさっぱり分からない。
     そして「細辛」は漢方薬である。ウスバサイシンの根茎を抗アレルギー、解熱剤として用いられる。スミレサイシンも薬効があるかどうかは知らない。
     「写真撮っておいてよ。」珍しくドクトルがカメラを持っていない。「携帯でも撮れる筈なんだよね。やり方が分からないんだ。」私の携帯電話でも勿論写真は撮れる筈だが、新しくしたばかりで使い方がよく分かっていない。「そうなんだ。機能がくっついていても使わないからな。」我々の年代用に、もう少し機能を限定して価格を安くしたものは出来ないだろうか。カメラは別に持っているのだから、電話とメールができればほとんどの用は足りるのである。
     もう一度上に登ってさっきの駐車場に出た。「どうします。日向山の頂上に向かいますか?」「登りましょう」とチイさんは即座に応じた。私も折角だから行ってみたいような気がしたが、伯爵夫人の様子を見ればもう帰りたいようでもある。「それじゃ降りましょう。」ちょっと残念でもあったが、後から考えれば隊長のこの判断が正しくて、ちょうど良い時間だったのだ。

     空はすっかり晴れ上がって青空が広がった。大雨なんかどこに降っているのだろう。絶好の行楽日和ではあるまいか。「善男善女六人が集まったから晴れたんだよ。このことはちゃんと記録しておかなくちゃいけない。」ドクトルの言葉に、「この六人は雨男雨女じゃないことが証明された」とチイさんも頷く。私は自分が雨男なんかじゃないと以前からちゃんと知っていた。未だに誤解しているらしいダンディに、きちんと教えなければいけない。正しく生きていれば冤罪は雪がれるのである。
     「これって、モモかな、桜じゃないよね。」「モモか梨か。梨の花にも似ているような気がする」と首を捻っていたチイさんが隊長に声をかける。「隊長、この白い花はなんですか?」「スモモだよ。」スモモモモモモモモノウチ。「スモモってプラムと一緒でしたよね。」桃太郎が訊いてくる。漢字で「李」、英語でplum 又はpruneと言う。
     舗道の脇から狭い山道の下りに入る。「滑るから気を付けて。」確かに濡れた坂道は滑りやすい。こういうところはなるべく歩幅を狭くして慎重に歩く必要がある。
     「アブラチャンだよ。」「アラレチャンとは違うのかい。」小さな黄色い花だ。油瀝青。クスノキ科クロモジ属。名の通り油が多く、果実や枝から油を絞って灯油としたり、薪炭として利用されたと言う。
     またキブシに出会ったが、隊長やドクトルの判定では今度のものは雄花であった。草むらにはスミレが群れ咲いている。
     更に下っていくと、「花粉道みたい」と花粉症で苦しむチイさんが溜息をつく。杉の花粉がびっしりと地面を覆っているのである。「今日は雨で湿っているからいいけどね。」
     階段を下りて舗道に出たところで、ゆっくり後方から降りてきたドクトルと桃太郎が隊長を呼び戻した。「この花は何だったかな。」「それはね、カキドウシ。」籬通し、あるいは垣通し。花が終わった後、蔓が垣根を越して隣家の庭まで侵入するというのが名の由来だ。シソ科。薄紫の小さな花だ。連銭草とも書き、子供の夜泣き、引き付けに用いられてカントリソウ(癇取草)の別名がある。また利尿、消炎作用もあると言う。
     「この隣にあるのは?」「それはヤエムグラだよね」と今度は桃太郎が思い出した。アカネ科ヤエムグラ属。ひっつき虫の異名がある。「ホントにくっつのかな」と桃太郎はズボンにくっつけてみる。細い葉が一か所から六乃至八枚、輪のようになっているのが八重の由来でで、ムグラ(葎)は蔓状の雑草の総称だ。

     八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

     恵慶法師のこの歌も、今見ているヤエムグラを特定しているということではないだろう。ところが書き写していて、実は私は「さびしきに」をずっと「さびしさに」と思い込んでいたことに気がついた。無学なことであるが、私の思い込みはどうしてだったか。
     「さびしさに」ならば「寂しさに耐えかねる」のように現代語でも言うだろう。それに対して「さびしきに」というのは現代用法では現れない。つまり単純に私は古語に無知であったと。
     それだけだと悔しいので文法的に救済策はないかと考えてみた。「さびしき」は「さびし」のシク活用連体形である。連体形は体言に付くものであり、助詞「に」に繋がって「さびしきに」と言うのが不自然ではないか。こういうコジツケはどうだろうか。
     こうなると、恵慶法師が文法的な誤りを犯したのだと言いたくなってしまうが、しかしこれは根本的に間違っていた。接続助詞「に」は活用語の連体形に付くのであり、何も不自然なことはない。私が知らないだけであった。勉強していないと恥をかく。
     また山道を下って行くと、記憶のある笠鉾が見えてきた。「家内安全」「五穀豊穣」「果実豊作」などと書かれた纏は、下の秩父祭りの屋台の屋根に載っているのである。ここで少し休憩をとる。
     座り込んでいるドクトルが「塩チョコ」なる不思議な飴を取り出した。それは何か。ドクトルも正体不明のまま買ってきたもので、「塩」に惹かれて口にしてみた。舐めてみれば塩味のバター飴だ。舐め続けて小さくなってくると、中に仕込んであるチョコレートが出てくる仕掛けだ。「とっても美味しいですね」と伯爵夫人が感激する。「でもさっきの飴がまだ口に入ってました」と言うのは、さっきチイさんも別の飴をくれていたからだ。

     午前中に横目で見て通り過ぎた赤い滑り台のところにやって来た。横瀬町農村公園である。「伯爵夫人も前に滑りましたよね」と隊長が話しかけるが、それは勘違いだ。「イイエ、私は滑ったりしません。」あの時は古道マニア夫人だけが滑り下り、伯爵夫人は一度は座ってみたものの、決心がつかずに止めてしまったのだ。慎みが邪魔をしたのである。
     今日は私が最初に滑ってみた。尻にビート板のようなマットを当て、延ばした足を浮かし加減にすると結構スピードも出る。百メートル程滑って下に着き、マットの置き場を探してみたが、そんな場所はない。そうだったのか。「これって戻さなくちゃいけないんですか。」続いて降りてきた桃太郎もややうんざりした口調になってしまう。考えてみれば当たり前の話で、マットは上になければ何の利用もできないのである。滑り台の下に置いてもしようがないのだ。マットを戻すために歩きながら見ていると、伯爵夫人も今日は優雅に滑り下りてくる。

      風光る秩父の丘を滑り下り  蜻蛉

     「わたし初めての経験でした。」「滑り台で遊んだことがないんですか」と隊長は驚くが、そうではない。「普通の滑り台では遊びましたけど。子供の頃に、こんなのはありませんでした。」私だって、こんなローラー式の滑り台なんか初めてだ。
     桃太郎はリュックを下に置いたままマットを戻しに行った。てっきり滑り降りた方に行くと思い込んでいたのだが、そうではなかったらしい。最後に滑り降りた隊長がそれを担いで登ってきて、「やたら重いじゃないか。何が入ってるんだ」と文句を垂れる。桃太郎の日常坐臥、登山の訓練に繋がらないものはないのである。たぶん何リットルもの水を入れているんじゃないか。
     「イカリソウだよ。」私は初めて見た。花は赤紫の不思議な形をしている。「碇に似ているからだよ。」そう言われるとそのようにも見えるだろうか。碇草、錨草。メギ科イカリソウ属。形が複雑すぎるが、どうやら距がやたらに長いようだ。

     「花が船のいかりの形に似ているからイカリソウ」。よくこのように説明されますが、この場合のいかりとは現在の二本鉤(かぎ)のものではなく、かつての和船で用いられた四本鉤のいかりです。
     イカリソウの開花期は四~五月。花の四方に伸びた角のような部分、いかりの鉤にあたる部分は「距」と呼ばれる器官で、これは花弁の一部が袋のように変化したものです。距の中には、花粉を媒介する昆虫をおびき寄せるための蜜が入っています。
    (http://aquiya.skr.jp/zukan/ikarisou.html)

     ところで私はメギ科なんて聞いたことがなかったが、メギは目木である。ベルベリン(メギ属の学名に由来)という成分(アルカロイドの一種)を含んでいて、これが目薬になるのである。眼薬として用いたから目木であった。メギ科にはメギ(メギ属)、イカリソウ、ナンテンなどがある。

    抗菌・抗炎症・中枢抑制・血圧降下などの作用があり、止瀉薬として下痢の症状に処方されるほか、目薬にも配合される。タンニン酸ベルベリンを除いて強い苦味がある。(ウィキペディア「ベルベリン」)

     ジュウニヒトエ(十二単)はシソ科キランソウ属。白い花が密集して、その付け根には髭のような白い毛がまとわりついている。この花を見て十二単になぞらえた人の感覚はどうなっているのだろうか。私にはとても連想できない。ところが図鑑を見ると、今見ている白い花の塊が、何層にも伸びてくるらしいのだ。今は一塊りになっているから気づき難いが、もう少し伸びて層をなしてくると、確かに白い着物を何枚も重ねたように見えてくる。
     「これはミズキだね。」「枝が鹿の角のようになってる。」「水が出るのかい。」「そう、枝を折ると水がでるんだよ。」花はいつ頃だったろうかと桃太郎が訊いてくる。「五月頃だったかな。」「もう少し早くなかったですか。」そう言われると、野川公園で四月の末に花を見たことがあるような気もする。「下界じゃ今頃かも知れないね。」記録をひっくり返すと、一昨年四月二十五日、野川公園にミズキの花が満開に咲いていた。
     舗道に出て下っていると、これまでは誰にも出会わなかったのに、後ろから何やら話し声が聞こえてきた。「朝、駅にいた連中だよ。」隊長が確認した。私が駅に着く前に出発したグループらしい。「丸山に登ってきたんじゃないかな。」
     町に近づいたものだから、また喧しい放送が流れてくる。追い抜いていく選挙カーが私たちに手を振って行く。バカではないか。この恰好を見れば地元の人間ではないと分かるだろう。
     最初に休憩した四阿で、枝垂れ桜を背景に隊長が記念写真を撮った。「もう一枚。」「隊長はよろしいんですか?」伯爵夫人が気を使う。「いいんです。」
     坂道を下る途中で電車が駅を出て行ってしまうのが見えた。これで次の電車まで三十分も待たなければならないか。しかし駅に着いて改札口に張り出してある表を見れば、上手い具合に十五時三十分の飯能行き臨時列車がある。駅前には私たちのほかにも七八人がいたが、彼らは臨時列車の存在に気が付いていないようで、のんびりしている。折角臨時列車を運行しているのに、西武鉄道は広報と言うものを知らないのか。私たちだけがホームに上るとすぐに電車がやって来た。朝と同じでほとんど乗客はいない。
     なんだかウトウトしてしまって、気が付くともう東飯能だった。ここで伯爵夫人は降りて行く。残った私たちは飯能で池袋行の急行に乗り換える。所沢下車と言うことは、目指すは勿論「百味」に決まっている。先月貰った割引券を桃太郎が忘れずに持ってきた。
     五人だけというのは久しぶりに少人数で、いつもよりは静かな反省会になった。観光の季節でありながら大雨の予報のお蔭で人も少なく、秩父の春を満喫した。「心がけが良いんだよ。」「善男善女ばっかりだしね。」晩春の宵を静かに過ごした。

     沁み渡る五臓六腑に春の宵  蜻蛉

     珍しく焼酎は一本だけで済んで一人二千円也。また割引券を貰って、今度は隊長が大事にしまった。来月は小手指コースだから、またこの店に来ることになる。
     今日は宗匠もロダンもいないので、歩数の記録ができなかった。

    眞人