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    平成二十三年七月二十三日(土) 森林公園

    投稿:   佐藤 眞人 氏     2011.7.29

     森林公園駅の改札口には隊長が一人で立っていた。まだ誰も来ていないのか。早過ぎたろうか。「いや、バスが満員になるかも知れないから並んで貰っているよ。」「それじゃ下に行ってます。」
     バス停ではダンディ、スナフキン、カズちゃんが所在なげに腰を下している。「早すぎですよ。まだ二本もやり過ごさなきゃならないんだから」とメキシカンハットのダンディが笑っている。一番遠い筈のスナフキンがこんなに早く来ているのは、珍しく昨日は深酒しなかったからだろう。後ろに並んでいた人たちがバスに乗り込んでも、私たちはまだ乗る訳には行かない。
     やがて宗匠やチイさんもやって来た。「まだ七人か」とチイさんが不安そうに呟く。ダンディによれば、明日ネイチャーウォークが日光の今市であるらしい。「だから女性陣の大半は明日に備えてるんだと思いますよ。」
     この時間を利用してカズちゃんがSuicaのチャージのために駅まで戻った。しかし定刻に近づき仲間も集まって来たのに、なかなか帰って来ない。「時間がかかり過ぎてませんか。大丈夫かな。」ダンディが心配するので、ロダンが「捜索に行って来ます」と駅に向かった。しかし、すぐ入れ違いにカズちゃんが戻り、改札口に待機していた隊長もやって来た。
     十時三分発のバスに乗ったのは、隊長、宗匠、ハコさん、ツカさん、ロダン、コバケンさん、蜻蛉、チイさん、スナフキン、ダンディ、ドクトル、若旦那夫妻、古道マニア夫人(今日は夫人だけ)、マリー、カズちゃんである。車で向かっている筈の椿姫を加えれば十七人になる。私たち以外に乗客は二人だけだった。
     森林公園南口の駐車場に入る前に、「一日百円」と表示された一時駐車場の案内が見えた。バスの窓から見て、「安いじゃないか。昭和記念公園は六百円だぜ」とスナフキンが声を出す。しかしこれは私設の駐車場で、正規の駐車場はやはり普通車で六百円であった。
     終点の停留所のそばの石垣に、バスに背を向けて座り込んで本を読んでいる美女の後ろ姿が見えた。「書を読む乙女っていいですね。絵にありませんでしたか」とロダンが喜ぶ。黒田清輝「読書」を連想したのだろうか。それにしても乙女ねエと、思わず宗匠と顔を見合わせてしまう。後ろ姿美人の正体は、予想した通り椿姫であった。
     二十人の団体扱いにならないから入場券は個々に買う。もっとも六十五歳以上になれば、団体だろうが個人だろうが二百円に変わりはない。「若手」は四百円だ。隊長は「ボクはパスポート持ってるから買わなくて良いんだ」と自慢する。年間に十回以上来る人は、パスポートがお得なのだ。
     ゲートを入ると、チイさんはすぐに売店に駆け込みユリ饅頭なるものを買った。「帰りでも良いんじゃないの」と笑うスナフキンは、森林公園に初めて来たから事情を知らない。「午前中で売り切れちゃうからね。」「そうか、それなら」と彼も大急ぎで同じものを買い込んだ。
     「ここは国立公園かい。」「そうだよ。」正確には国営だった。国営武蔵丘陵森林公園である。実は私は国立公園と国営公園の区別を知らなかった。それに国定公園と言うのもある。その違いはなんだろう。
     国立公園と国定公園は自然公園法で定められ、環境大臣が認定する。但し「国定」は「国立」より格が低く(?)、都道府県が管理する。それに対して国営公園は都市公園法で定められ、国土交通省が設置する。だから自然景観などには余り関係がないようだ。国営公園に定められる要件は次の通りであった。

    イ 一の都府県の区域を超えるような広域の見地から設置する都市計画施設である公園又は緑地(ロに該当するものを除く。)
    ロ 国家的な記念事業として、又は我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図るため閣議の決定を経て認定する都市計画施設である公園又は緑地    (都市公園法 第二条第一項第二号)

     イは主に災害時の避難区域や救援活動の拠点として定められ、森林公園はロに該当することになっているようだ。「昭和記念公園とどっちが広いだろう。」スナフキンは犬の散歩のために昭和記念公園に行く。そして、その昭和記念公園も国営公園である。広さの違いは分らなかったが、調べてみると、昭和記念公園は一四八・七ヘクタール、森林公園は三〇四ヘクタールだから、ほぼ倍の広さになる。

     旧暦六月二十三日。二十四節季の大暑だが、連日三十五度を超えていたあの暑さも、台風六号が大雨を齎した後はやや落ち着き、今日は比較的過ごしやすい陽気になった。
     歩き始めて最初に立ち止ったのは、山田城址へ上る入り口付近のエノキの木の前だ。「オオムラサキの幼虫が見られるかも知れない。」蝶の幼虫って毛虫ですよね。ここには見られなかったが、私は特に見なくても良い。
     木の枝には何かを詰めたストッキングが二本ぶら下がっていて、大胆不敵にロダンが裏返すと、そこに金属的な光沢のある虫が数匹たかっている。「誰が仕掛けたんだろうか。」「発酵したような匂いがするね。」椿姫はひとり離れて不気味そうに眺めている。
     広い道に戻ると、道端にはママコノシリヌグイ(継子の尻ぬぐい)が咲いている。「オーッ、よく知っているじゃない。」去年宗匠がこの辺りで見つけたのを思い出しただけだ。「ホントの名前はなんだい。」「ホントの名前だよ。」「ウソだろう。」スナフキンはなかなか信用してくれない。確かに正式な名称としてこれほど酷薄無残なものもない。花は蕎麦に似ているので別にトゲソバとも言われるが、タデ科イヌタデ属ママコノシリヌグイが正式名である。
     「これは何。」白い花を指さすロダンに「なんとかウツギだよ」と答えた。すぐに隊長からツクバネウツギと正解をもらって「そうだろう、ウツギみたいな顔してるものね」と私は自慢する。「差をつけられちゃったな、もう。」スイカズラ科ツクバネウツギ属。
     ところでツクバネとは何だろう。「筑波峯の峰より落つるみなの川」かしら。「恋ぞ積りて淵となりぬる」。しかし何でも考えれば良いというものではない。漢字で衝羽根空木と書く。ウィキペディアによれば、「和名は、果実がプロペラ状の萼片をつけ、羽根突きの『衝羽根』に似ることに由来する」のである。
     キリの実が生っているのは初めて見た。そもそも桐の花を初めて知ったのが今年の五月頃のことだったから、私は桐に関しては全くの素人である。こんなにいくつもの実が鈴生りにつくのですね。「花札の十二月の二十点のやつ、花の形はあれですね」とダンディが言うが、あの形から実際の桐の花を連想するのは難しいような気がする。
     「これはニワウルシ。」何度も教えられているのになかなか覚えられない。但しそう聞けば、これは神樹とも呼ぶということを思い出した。「ウルシと言っても科が違うからかぶれない。」これも前に聞いたことがある。ニガキ科という種類らしい。
     ドクトルは落ちていた翼果を拾ってしげしげと見つめる。「種子はどこにあるんだい。」プロペラの真ん中のところが窪んでいて、もうどこかに落ちてしまったのではないだろうか。「二月か三月になると、この翼が一斉に飛ぶんですよね。」そうか、あの時は椿姫も見ていたね。それが上から降り注ぐと実に幻想的な風景になるのは、神流川沿いで見たことがあった。去年の二月のことである。

     西田沼を左にしながら山道に入ると林の中は涼しい。さて、灌木のギザギザの葉に停まったこの蝶はなんだろう。さっき隊長がオオムラサキのことを言っていたからそれだろうか。「オオムラサキって、こんな蝶なのか。」こんな質問をするので、スナフキンは蝶に関してまるで無知だと分かる。たぶん違うね。実はオオムラサキというのを私は良く知らない。「オオ」というからには、もっと大きいものだろう。
     蒙昧な二人に「これはクロヒカゲ(黒日陰)ですね」と教えてくれるのはツカさんだ。薄暗い林のなかで生きる日蔭者である。閉じた翅は黒っぽい焦げ茶色で、目玉のような紋がある。
     オオバギボウシ(大葉擬宝珠)の白い花は、日が遮られた林の中でぼんやりと光るようだ。花をてんぷらにして食うと聞いた椿姫が喜ぶ。「今度、鍋と油を持って歩きましょうよ。」しかし森林公園内の植物は勝手に食うわけにはいかない。遠野のハナちゃんは、花が出る前の若芽を食べる、だから花は見たことがないと言っていた。「うちの方じゃ、葉の柔らかいうちに湯がいて食べるわよ」と若女将が言う。
     「葉っぱを食べるんですか。」福島県人のカズちゃんは知らないらしい。「スーパーにも売ってるよ」と言う隊長の言葉に椿姫もカズちゃんも驚く。「ウルイですよ。」「それなら知ってるわ」とカズちゃんも納得した。ウルイなんて初めて聞いたから、私はたぶん食べたことがないと思う。「ただね、若葉はバイケイソウに似てるんだ。毒草だから注意が必要です。」その辺の草を無暗に食ったりする習慣は私にはないから問題ない。
     しかし「初めて聞いた」と書いたのは私の記憶力が減退している証拠だった。去年の日記(七月二十四日)をひっくり返してみると、ちゃんとウルイの食べ方まで書いてあるではないか。カズちゃんのために再録してみよう。

    葉柄の軟らかい部分を根もとから切り取り、ゆでたものを適当な長さに切り、カツオぶしやクルミ、マヨネーズ、カラシなどをのせたおひたし、あるいはゴマあえは、適度のヌルメキもあり最高だ。そのほか、みそ汁、山タケノコ、コンニャク、打ち豆、ニシンとの煮もの、酢のもの、てんぷら、油炒めと利用方法も多彩だ。(中略)
    オオバギボウシ(ウルイ)は七月ごろ、あまり開いていない花とつぼみを摘み、生のままサラダに、さっとゆでて三杯酢などで味わう。彩りが美しい。
    (http://www.ja-abukuma.com/tokusan/sansai/urui/urui.htm)

     樹木が途切れた場所では日が照りつけ、やはり暑くなってくる。「チイさん、どうしたの。」頭に汗をびっしょりかいて、口数少なく俯き加減で歩いているのは、どこか体調が悪いのではないか。「うん、なんだか体に力が入らないの。」風邪でもひいたのだろうか。大粒の汗が後頭部一面に噴出しているのが気にかかる。まさか熱中症ではないだろうね。
     要所々々の木の幹には樹木名を書いたプレートが取り付けられていて、それを見つける度に隊長は裏返して確認している。「何をしてるんだい。」虫を探しているのだ。

     トンボ池に通じる細い道の藪には不気味なものがあった。「蜘蛛の子だよ。」私は初めて見た。半透明の袋のようなものの中に、無慮数千とも思える小さな虫が、うじゃうじゃ蠢いていて、見ているだけで神経がざわついてくる。この袋が破れてしまえば、確かに「蜘蛛の子を散らす」ように散らばって行くだろう。ロダンも「蜘蛛の子を散らすね、なるほど私も初めて見ました」と頻りに頷く。虫愛づる姫だったらこんな不気味なものでも喜ぶだろうか。清少納言は「何も何も小さきものはみなうつくし」と書いたが、蜘蛛の子のことまでは知らなかったに違いない。
     今度は隊長がトンボを捕まえて解説してくれる。「ほら、ここの黒い線が切れてるだろう。これがナツアカネ。切れていないのはアキアカネ。」アカネと言うからには、これも赤くなるのだろうか。ドクトルやカズちゃんがルーペを出して観察しているから、私も虫眼鏡を持っていたのを思い出した。随分前に百円ショップで買ってから一度も使ったことのないものだ。たまには活躍の場を与えなければいけない。「どこですか。」「ここだよ、この線。」「もうちょっと、こっちの角度に。」なんとなく分ったような気がする。「それは天眼鏡かい」とドクトルの声がかかる。
     「トウセミってあったわよね。」若女将の質問に誰も応えることができない。どういう蝉だろう。「それってどこかの方言じゃないですか。」水戸の人が笑うと、「池袋よ」という返事が返って来た。今トンボを見ているのに、蝉の話題を持ち出すのは何故だろうと思うのは私の無学のせいである。宗匠とダンディの電子辞書によれば、確かにトウセミというものがいる。但し蝉ではなくイトトンボのことであった。「キヨシさん、イトトンボですって。」それを聞いて若旦那が微笑む。いつも仲の良い夫婦だ。
     イトトンボ(糸蜻蛉、豆娘)は別名、灯心蜻蛉、糸灯心、トウスミ蜻蛉、トウセミとも呼ぶらしい。つらつら考えるに(素人が勝手に想像するのだが)、おそらく灯心(トウシン)が池袋方言(?)で訛ってトウスミあるいはトウセミになったのではなかろうか。
     「吸いつかれてしまった。トホホ。」おお、チイさんの目尻の下に小さな蝶が吸いついているではないか。カメラを向けてシャッターを押しても離れようとしない。なんとかシジミという蝶じゃないか。「ヤマトシジミだよ」とすぐに隊長から答えが出てくる。チイさんはシジミ蝶に好かれる質である。一昨年の夏、安行の赤山城址でも手の甲に吸いついて離れない蝶がいた。よほど蝶を引き付ける魅惑の汗を出しているに違いない。この汗で人間の女性をも引き寄せているのだろうか。
     大きな木が数本立っているのはナンキンハゼ(南京黄櫨)だ。「花は終わったのかな」と隊長が見回していると、「こっちに咲いてますよ」と宗匠が声をかけた。ブラシのような花だ。「そうそう、これが雄花なんだよ。」「それじゃ雌花はどうなってるの。」雄花と雌花の別について喧しい議論が続く。「雌花は下のほうにあるんじゃないの。」今日の宗匠はなんだか専門的な発言をする。上から落ちて来た花粉を下で受けるのだとすれば、それは確かに物理の法則に適うだろう。
     ついに、花序の根元の方にある、ちょっとした突起が実になるのではないかと、宗匠が発見した。「これかい」と私がボールペンの先で触ると、すぐに剥がれて落ちてしまった。「アーア。駄目だよ。」
     ウィキペディアを見れば、「雌雄同株」、「総状花序でその葉腋に雌花をつける」とある。それなら宗匠の意見に従えば良いかも知れない。「実は塩豆みたいなんだ。」その場ではなんとなく分ったような気がしたが、塩豆というのは白い殻のついた豆だったかな。それにしても、この木がトウダイグサ科というのは実に不思議だ。
     ラクウショウ(落羽松)の大木も見る。いつも思うのだが、私はこの果実が天然自然に出来たものとはどうにも思えない。色合いや質感からして、どうしても人工的な細工物に見えてしまうのだ。「ほかにも別の名前がありますよね。」「ヌマスギ(沼杉)ですよ」と椿姫が即座に応える。

     林の中を辿って行くと、ところどころに山百合が咲いている。手が届くところに咲いているのは残念なことに茎が折れて倒れていた。先日の台風のせいかも知れない。
     「織井茂子なんか言わないでよ」と笑うロダンの発想はどこから来るのだろう。このところのロダンの頭の中は昭和歌謡史で一杯になっていて、それが何かの加減でこぼれてくる。しかし折れたヤマユリから織井茂子を連想するためには、二段階位の発想の飛躍が必要だろう。尋常ではないね。感度の鈍い私は、理解するまで十秒程もかかってしまった。織井茂子なら『黒百合の歌』である。そもそもロダンの年齢で(私もそうだが)この歌を知っているのは、懐メロ番組のお蔭だ。あんみつ姫だったら昭和歌謡の歌姫だから歌えるだろう。マリーなんか勿論知らないに決まっている。二番の歌詞を引いてみよう。

    黒百合は 魔物だよ
    花の香りが しみついて
    結んだ二人は 離れない
    あああ……あああ……
    あたしが死んだら ニシパもね
    あたしはニシパが 大好きさ(菊田一夫作詞、古関裕而作曲)

     こんな風に書き写していると、つい『北上夜曲』(菊地規作詞、安藤睦夫作曲)まで思い出してしまう。「匂い優しい白百合の濡れているよなあの瞳。」白百合は山百合ほど香りがきつくないのだろうか。

     折れてなほ薫りは高し百合の花  蜻蛉

     ドクトルがカメラを構えると、ロダンが倒れている花に手に添えて立ち上がらせようとする。「駄目だよ、手が写っちゃうから。ちゃんと花が撮れるようにうまく置いてよ。」
     「百合は私たちみたいよね」と椿姫が笑っている。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。黒百合の魔物とは違うのであろう。本日の女性四人は全員が百合であったか。「そういえば姥百合もあったね。」余計なことを思い出すと、「それは言っちゃいけないよ」と宗匠がニヤニヤ笑う。
     「こっちにもいっぱい咲いてるじゃないか。」大きな花を触りながら「これはガクなんだよ」と隊長が解説する。六弁に見える花は、ほとんど形も模様も同じなのに、花弁が三枚、萼が三枚に別れているのだ。「外側についているのがガクなんだよ。」これは新知識であった。良く見れば、萼の方が心持幅が狭いだろうか。こういう風に、花弁と萼がまるで同じ形をしているものを専門家は花蓋と呼ぶらしい。

    花は花蓋(萼、花弁同様な姿をしているものを、便宜のため植物学上では花蓋と呼んでいる)が六片あるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が萼片であり、内列の三片が花弁である。そしてそのもとの方の内面には、よく蜜が分泌せられているのが見られる。六本の雄蕊があって、おのおのが花蓋片の前に立っており、長い花糸の先にはブラブラと動く葯があって、たくさんな花粉を出している。この花粉には色があって、それが着物に着くと、なかなかその色が落ちないので困る。ゆえに、人によりユリの花を嫌うことがある。(牧野富太郎『植物知識』)

     やがて展望台レストランが見えて来た辺りで隊長が立ち止まった。「ヤマモモ、ヤママユ。」よく聞き取れなかったので、ロダンが訊き返して、この木がヤマモモであると確認した。「フーン、ヤマモモですか、これが」とロダンは悩んでいるが、私はすぐに思い出した。「行田の忍城で見たじゃないの。」「オーッ、そうだよ。」あのとき、大抵の人は実を捥いで口にしていた筈だ。「あのちょっと酸っぱい。」「そうだよ。」
     この木にヤママユがつくらしいのだ。ヤママユと言うのは山繭蛾で、天蚕とも書く。四回の脱皮を繰り返し、鮮やかな緑色をした繭を作る。繭一粒から得られる糸は長さ約六百~七百メートル、千粒で約二百五十~三百グラム程度の絹糸が採取される。

    この糸は天蚕糸とよばれ.光沢が優美で、太く、伸度が大きく、織物にして丈夫で、しわにならず、暖かく、手触りも良いなどの優れた特徴があり、繊維のダイヤモンドにもたとえられて珍重されている。
    天蚕糸は家蚕糸に混織すると織物の衣料性能が向上することから、近年とくにこの方面での需要が多いが、ネクタイ、財布のような小物や、家具、インテリア等の素材としての用途も増えつつある。
    http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/Library/tensan/tensan.htm

     「カイってなんだい、飼育しているってことかな」とドクトルは時々不思議なことを言い出す。「蚕」が「コ」ならば、カイコとは「カイ」の「コ」であろうというのがドクトルの疑問だったようだ。そんなことは誰も分らない。ただ、天然の蚕と比べて「飼イコ」と言われては、なんとなく理屈が通っているようでもある。しかし「蚕」はコとは読まない。「サン」であると知ってしまえば、この説は無理だ。素人考えで想像してみると、クワノコ(桑の子)、訛ってクワイコが語源ではあるまいか。
     レストラン入口のメニューには「やまゆり御膳」というのがある。一日三十食の限定だから珍しいものなのだろう。「お弁当持って来るんじゃなかったわ。」「そうね。」女性陣が口を揃えている。屋外でバーベキューをしている連中もいるが、それを横目で見ながら、私たちは広場に入って木陰にシートを広げた。
     木に向かってやや下り斜面になっているが、ドクトルの大きなシートを中心にして座り込むと気持ちがよい。椿姫と古道マニア夫人は小さいシートを取り出して、私たちとはちょっと離れたところに座った。「こっちに入りなさいよ」と隊長が呼んでも、「イヤ」と言う。「大丈夫ですよ、怖くないんだから。」
     どうやら警戒されているのは私と宗匠だったらしい。近づくと何を書かれるか分からないと言うである。「危なくてしょうがないんだから。」若旦那夫妻はいつものように二人だけの世界を作るため、私たちから見えないところに移動した。
     椿姫からは大粒の自家製梅干しが配給された。有難いことである。チイさんとコバケンさんが百合饅頭を取りだした。「旨いよ。」それを聞きつけてダンディが「蜻蛉が甘いものを旨いって言うなんて」と咎めだてをするが、言ったのは私ではなくコバケンである。「そうでしたか、声がそっちから聞こえたから。」餡に百合の根が練り込まれているらしい。「本当は甘いものだって、こっそり食べてるんじゃないの。」ロダンは自分が甘いもの好きだからそんなことを言うが、邪推も甚だしい。私だって、たまには甘いものを口にしても良いかと思うこともあるが、勇気がなくてまだ実行に至っていない。マリーからはポッキーが配られた。
     食事を終えて喫煙所に立つのは三人だ。いつもは私だけで実に肩身の狭い思いをしている。孤独ではないということは、なんと嬉しいことだろう。
     「ここで一時間ほど昼寝するっていうのはどうだい。」ドクトルは本当に寝てしまいそうだ。「バーベキューは千三百円だった」と、トイレから戻って来たスナフキンから報告があった。「無茶苦茶安いじゃないですか」とロダンは言うが、千三百円は安いだろうか。私はこういう場所でわざわざバーベキューをしたいとは思わない。河原とか、もっと適当な場所があるのではないか。「ビールも売ってた。」それならバーベキューが良かった。

      昼下がりビール恋しき芝生かな  蜻蛉

     折角だから展望台に登ってみる。右手の方は樹木で遮られて山は見えないが、左に目を移せばかなり遠くの山も綺麗に見えてくる。表示板があるから山の好きな人はこれを確認しながら指をさす。「オッ、浅間山が見える。」私は山については不案内で余り興味がない。それにこの展望台は余りに狭くて、私たち全員が入ってしまうと身動きも出来ないほどだ。階段の下から「ちょっと待ってなさい」と子供を諭す母親の声が聞こえてきたので、早々に下に降りる。「どうぞ上がって下さい。」
     暫くして全員が展望台を降りて来た。隊長が人数を確認して出発する。
     歩きだしてすぐに車椅子を押した男が現れ、「ヤマユリの群生地はこっちですか」と声をかけて来た。特に私を名指して質問を受けたのでは勿論ないのだが、何も考えずに即座に「そうです」と答えてしまった。聞こえたのかどうか、男は足早に車椅子を押して去って行った。

    梅雨明けとともに、森林公園にゆりの王様“やまゆり”が咲く季節がやってきました。
    園内には一万 株のやまゆりが自生し、毎年三千 株が開花します。現在、少しずつ咲き始めており、見ごろは七月二十日から二十六日ごろと見込んでいます。(森林公園HPより)

     この時期に森林公園に来る人は、大概この山百合を目的にして来るのであろう。「自信たっぷりに答えたね。」「本当にそっちで良いのか。」「知らない。」「エーッ、それはひどい。ウソついたんじゃないの。」たぶんどこかで行きつくのではないか。「方向的にはそんなに違っていないと思うよ。」
     彼らの運命や如何。しかし山百合はアチコチで見られるのだから、見た場所が「群生地」だと信じてしまえば良いのだ。後で「やまゆりセルフガイド」という地図を確認すると、ポイントは三か所ほどあり、彼らが行った方にも存在している。ウソを教えたわけではなかった。「それって、結果オーライじゃないか。」これから以後、みんなは私の言葉を一切信用しなくなるかも知れない。
     野草コースには南入口から入る。何度か北口から入っているから、こちらから入るとやや違った感覚になる。
     オオバギボウシが咲いている。萩はまだちょっと時期が早いだろうか、赤い小さな花が二つ三つ見えるだけだ。桔梗の星形の花は姿が良い。山上憶良が歌った朝貌(アサガオ)は、この桔梗であるという説が有力だ。

    秋の野に咲きたる花を指(おゆび)折り かき数ふれば七種の花 (その一)
    萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花 女郎花また藤袴朝貌の花 (その二)

     そしてこれが秋の七草として定着した。春の七草は食用になるが、秋の七草を食おうと思う人はいないだろう。「桔梗は色がきれいですよね」と椿姫がうっとりした声を出す。ここに講釈師がいれば、必ず明智光秀の家紋について話し始める筈だ。ところで瞿麦をナデシコと読める人は偉い。

     桔梗の花青々と比企の丘  蜻蛉

     橙色の五弁花はフシグロセンノウだとツカさんが教えてくれる。実は、これも去年聞いたのにすっかり忘れていたのだ。「フジクロ。」「フシグロです。」どこが「節黒」なのだろうか。「どこも黒い所がないですね」とロダンもしげしげと眺めている。仕方がないのでネットを検索すると、これはナデシコ科センノウ属、茎の節が太くて黒紫色あるいは黒褐色を帯びると書いてある。センノウは仙翁である。節黒仙翁とは、なんだか不思議な名前だ。ウィキペディア「センノウ」によれば、京都嵯峨の仙翁寺に咲いていたのが命名の由来らしい。
     「ほら、ここが分かれてるだろう。」ギンバイソウは葉の先端が二つに分かれているのが特徴である。隊長の説明に頷く。「ギンバイってなんだか嫌な名前だね。」水戸の人はイとエの区別がつかないか。これは東北弁の特徴でもある。「被災地じゃ大変なんでしょう、大量発生して。」つられて若女将も「そうよね、ホントに気の毒だわ」と相槌を打つ。「蠅取り紙がすぐ真っ黒になっちゃうって。」マリーまでが同調しているが、しかしこれは銀蠅草ではなく銀梅草である。ユキノシタ科。花はもうほとんど終わりかけていて余り美しくはないが、ネットで写真を探して見るとなかなか幽玄な雰囲気の白い花である。
     アキノタムラソウ(シソ科)は、桃太郎が知っていたので驚いたことがある。長い茎に小さな薄紫の花をいくつも付けている。タムラソウ(キク科)とは似ても似つかない花で、なぜその名前があるのか不思議なことだ。因みにただのタムラソウは薊に似た花だ。
     最後尾になってしまった椿姫と私がタカトウダイ(高燈台)を見ていると、前方でスナフキンが「こっちにもあるよ」と手招きする。「葉のつき方が変わってるんだ。」どうやら隊長が説明していたらしい。こんなことを彼が自分で発見する筈がないからな。茎を囲むように五枚の葉がある。そこから五本の茎が出て、それぞれの茎の十センチほど上に今度は三枚の葉がつく。そこから更に三本の茎が出て、その上には葉が二枚。なるほど、私は観察力が鈍いから、こんな風に説明してもらって漸く分る。さらにその上に不思議な形の花が三つ咲いている。花の部分はネコノメソウにやや似ている。
     「トウダイって燈台って書くんだね。」辞書を検索していたダンディが笑う。トウダイグサ科トウダイグサ属。トウダイグサ科というのは、草本木本にわたってやたらに多い科だ。
     オミナエシの下にはピンクのナデシコ(撫子)も咲いている。「これはなんだい。」「ナデシコ。」「エッ、それじゃこれは。」スナフキンはオミナエシをナデシコと思ってしまったらしい。花の縁が細かく切れ込んでいるのがナデシコだ。

     なでしこや歓喜潜むる花の内  閑舟

     宗匠はなでしこジャパンの活躍に気分が高揚している。宗匠によれば、台風が大きく逸れて震災被災地を襲わなかったのも、なでしこジャパンの圧力のせいであった。私はサッカーに余り関心のない人間だが、取り敢えず久しぶりに明るい話題で良かった。
     「黄色いのがオミナエシ(女郎花)、今日はないけど、白いのがオトコエシ(男郎花)だよ。」「そうなのか。」俗説ではオミナエシは女飯(粟飯)、オトコエシは男飯(白飯)だというが、どうも嘘っぽい。オミナエシ(女郎花)の名は上述したように万葉の頃から見られていて、その頃、女性が粟飯で我慢して旦那に白米を食わせるなんてあった筈がない。偶然目に付いたので、たまには本物の俳句も引いておくか。

     ひよろひよろとなお露けしや女郎花  芭蕉

     「あの少し橙色がかったのはニッコウキスゲ(日光黄萓)。」名前からして日光特有のものかと私は思っていたが、どうやら本州中部以北海道まで分布するもので、和名はゼンテイカ(禅庭花)である。禅庭花の由来は不明だ。ユリ科ワスレグサ属。ヒメカンゾウ(姫萓草)の変種とされる。
     野草コース北口を出ると、タカトウダ、オミナエシ、ギンバイソウ、キキョウ等、開花情報を示す看板が立っていた。ニッコウキスゲは看板にない。「昨日あたりは咲いてなかったんじゃないかな。」「タカトウダイってありましたか。」カズちゃんは見なかったのか。全体に緑一色に近く、色が目立つものではないから、教えられなければ分からなかったかも知れない。
     中央口のレストランの傍でちょっと休憩する。頭に水をかぶって戻ると、チイさんがブルーベリーを配っている。「去年はこの辺で弁当を食べましたよね。この水道も見覚えがありますよ。」ロダンの言葉で私も思い出した。水道を見れば私は必ず頭に水を被っているようだ。古道マニア夫人はブルーベリーの育て方をチイさんに訊いている。
     「ウマはまだなの。」椿姫が隊長をせっついている。朝から気になって仕方がないのだ。ウマとは何であるか、これについては後で分かるだろう。「後で見ますから。それじゃ行きましょうか。」

     疲れたぞよウマはまだかと椿姫  閑舟

     古鎌倉街道を案内する立て札を見て、「旦那と一緒に来たことがあるかも知れない」と古道マニア夫人が口にする。古道マニアが来ない筈はない。今日もどこかで古道を研究しているそうだ。

    森林公園内に見られる(伝)鎌倉街道は道幅も狭く、街道というより山道という表現がぴったりの道です。鎌倉街道と伝えられる道筋は南口の山田城の東を抜け、山崎城北端をかすめて北上し、公園中央口から西口方面に抜け、土塩―熊谷市小江川―塩―板井―深谷市本田を通り、寄居町今市で本道の鎌倉街道上道に合流しています。(森林公園「歴史探訪コース」より)

     寄居で「本道に合流」すると言うからには、ここは脇道である。鎌倉から上州まで鎌倉街道上道は次のようなコースを辿っている。

    鎌倉由比ケ浜・常葉山(鎌倉市大仏坂北西の常葉)・村岡(藤沢市宮前を中心とした付近)・ 柄沢(藤沢市柄沢付近)・ 飯田(横浜市泉区上飯田町・下飯田町付近)・井出の沢(町田市本町田)・小山田の里(町田市小野路町)・霞ノ関(多摩市関戸)・恋が窪(国分寺市の東恋ヶ窪及び西恋ヶ窪)・久米川(東村山市と所沢市との境付近)・武蔵野(所沢市一帯の地域)・堀兼(狭山市堀兼)・三ツ木(狭山市三ツ木)・入間川(狭山市を流れる入間川で右岸に宿があった)・苦林(毛呂山町越辺川南岸の苦林宿)・大蔵(嵐山町大蔵)・槻川(嵐山町菅谷の南を流れる川で都幾川と合流する)・比企が原(嵐山町菅谷周辺)・奈良梨(小川町の市野川岸の奈良梨)・荒川(寄居町の荒川)・見馴川(児玉町を流れる現在の小山川)・見馴の渡(見馴川の渡)・児玉(児玉町児玉)・雉が岡(児玉町八幡山)・鏑川(藤岡市と高崎市の境を流れる)・山名(高崎市山名町)・倉賀野(高崎市倉賀野町)・衣沢(高崎市寺尾町)・指出(高崎市石原町付近)・豊岡(高崎市の上・中・下豊岡町)・板鼻(安中市板鼻)・松井田(松井田町)(ウィキペディアより)

     この幹線にいくつもの枝道が通じていたに違いない。その痕跡は「鎌倉古道」「古鎌倉道」など様々に呼ばれる。この辺りは武蔵七党を中心とした坂東武者が跋扈跳梁した地である。いったん緩急あれば、草原の間、林の陰から一斉に立ち上がり、尾根を伝って駆け出したことだろう。

     山百合や一路目指すは鎌倉へ  蜻蛉

     「熊谷次郎直実って偉いひとだったんですよね。」立札には熊谷直実や畠山重忠が通ったと書かれており、それを読んでいたロダンが言い出した。「クマガヤじゃありません、クマガイです」とダンディから指摘が入ったが、直実はそんなに偉かったかな。「ミナモトの誰でしたか、首を取ったのは。」直実が討ったのは平敦盛である。ダンディが『青葉の笛』を歌いだす。

    一の谷の軍破れ
    討たれし平家の公達あわれ
    暁寒き須磨の嵐に
    聞こえしはこれか青葉の笛(大和田建樹作詞、田村虎蔵作曲)

     青葉の笛というのは平忠盛が鳥羽上皇から賜ったもので、敦盛に伝えられ、錦の袋に収めて腰に差していたのである。「こんなのもありますよ。」ついでだから私は『直実節』の二番を少し歌ってみる。確か埼玉県知事が作詞した歌じゃなかったろうか。

    源平須磨の戦いに 花も恥らう薄化粧
    智勇兼備の将なれば 敦盛の首討ちかねて
    無常の嵐胸を打つ(栗原ひろし作詞)

     しかしこの歌の評判は芳しくなかった。「薄化粧なんて、なんだかヤラシイ」とロダンは言う。新民謡あるいは歌謡曲としても確かにたいした歌ではない。「馬を背負ったとかいうんですよね。」それは畠山重忠のことだ。秩父平氏の棟梁だから、熊谷より畠山の方が家格は遥かに高い。
     『平家物語』では、直実は敦盛の首を討ったことで無常を感じて遁世したことになっているが、それなら、一の谷合戦の直後に出家すべきだった。実際にはまだまだ浮世には未練があって、所領確保に懸命になっている。ついでに言うと「一所懸命」の語源は、所領を獲得し維持するために命を懸けることである。「一生懸命」では意味をなさない。
     一の谷から六年も経った建久三年(一一九二)、直実と久下直光との間で争いが起きた。久下直光は私市(キサイ)党で、大里郡久下郷を領していた。直実の叔母を妻にしていたことから孤児になった直実を養い、自分の所領である熊谷郷の管理を任せた人物である。後に頼朝によって熊谷郷は正式に直実に安堵されるが、直実にとってはいわば恩人である。しかし、いつまでも直実を従えておきたい直光と、独立したい直実との間に所領の境界をめぐる訴訟になったのである。ところが直実は口下手で頼朝の尋問にうまく答えることができない。これでは訴訟の結末も負けに決まったと自ら腹を立てて、頼朝の面前でいきなり髻を切って逐電したのであった。
     蓮生坊出家の直接原因はこれであった。敦盛を原因とするのは『平家』作者の劇的美化であろう。訴訟能力は「一所懸命」たるべき鎌倉武士にとって重要な要件であって、これでは単なる短気な田舎侍でしかないと私は思ってしまう。

     赤松林の中でホトトギスの声が聞こえた。「トッキョキョカキョク、うまく言えないわ。」私も口の中で唱えてみたが、やはりうまく口が回らない。宗匠が「ホトトギスって、まだ姿を見たことがないんですよ」とツカさんに言っている。そのツカさんも余り見かけないと言っているから、普通には見ることが出来ないのだろうか。勿論私は見たことがない。ウグイスの声も聞こえる。
     ヒグラシやニイニイゼミの声も聞こえてくる。「蝉の声って最近あんまり聞かないわ。」「そうね。」私は城西大学図書館で毎日蝉の声を聞いている。「あー、心が洗われるな。」ロダン得意のセリフが入った。ヒグラシは晩夏の頃と思っていたが、隊長やツカさんによれば七月上旬から鳴き始めるものらしい。しかし、あの「カナカナカナ」という声には秋思の情を催さないだろうか。恋の終わり、祭りの果てた後といった風情である。俳句では秋の季語になっていて、漢字では蜩、茅蜩、秋蜩、日暮等と書く。
     ガビチョウ(画眉鳥)もいるらしい。私は「江戸時代に中国から入って来た」とダンディに嘘を教えてしまった。「そうですか、マイペディアにも載っていないから、新しいかと思った。」それはダンディの感想が正しいので、実は七十年代頃に中国から大量に輸入されたらしい。「あんまり良い声じゃないわね。」「喧しいね。」そんな声に「中国語だから日本人には向かないんでしょう」とダンディが応えている。

    特定外来生物に指定されており、日本の侵略的外来種ワースト百選定種にもなっている。
    一九八〇年代以降は人気がなくなりペットショップの店頭から姿を消した。理由の一つに、高度経済成長期になって台頭してきた洋鳥と比較して、本種の体色が地味なことが挙げられる。さらにむき餌で飼養可能な洋鳥と比較した場合、本種は和鳥と同じく手間のかかるすり餌によらねばならず面倒、といった理由も挙げられる。
    また中国人がこよなく愛でるその囀りも、声が非常に大きいことから騒音と捉えられ、それゆえ近所迷惑の感が強い。もっともこれには軒先をつき合わすといった、特に都市部において顕著な日本固有の住宅事情もある。(ウィキペディア「画眉鳥」)

     こうして、一時は大量に輸入されたものの、売れ残りを抱えたペット屋や、買ってはみたものの始末に困った連中が野に放した。愛を失った籠の鳥の末路である。捨てられたものに罪はないが、結果的にこれが生態系を破壊する。
     「さっきの人じゃないの」とコバケンが注意を促した。確かに車椅子を押している男がいた。こちらには気付かなかったようだ。「早過ぎるんじゃないか。」「分からなかったんじゃないの。」いろいろ穿鑿が喧しい。しかし彼らは充分に山百合を堪能してきたのだと私は信じる。
     ポンポコ広場で少し休憩する。水道を見つけて頭に水をかぶると気持ちが良い。向こうでは隊長や椿姫が私を指さして何か噂しているようだ。「何か言ってたでしょう。」「悪い話じゃありませんよ。」「そうでしょう、蜻蛉は素敵とか聞こえたような気がする。」「そんなことは誰も言わない。」「もう、幻聴が聞こえるようになったのね」とマリーが呆れたような顔をする。
     やがて私たちもヤマユリ群生地のひとつである梅林に出た。そうか、以前は逆方向から来たから感覚が違った。梅林の周囲の藪に百合が咲いていて、匂いがきつい。カメラを向けている人も写生をしている人もいる。
     「これ知ってますか、ベニスジですよ」と親切な男性が声をかけてきた。「台風で折れてしまっているけれど。」確かに長い茎が途中で折れてしまって、上のほうは傍の木に寄りかかるように傾いている。「水が行き届かないから、花が完全には開いてないのが分るでしょう。それでも特徴がはっきり分かります。」ヤマユリは六枚の花蓋の中央を通る黄の筋が特徴なのだが、これは筋が赤いのでベニスジと言うのである。「毎年、数本見ますよ。今日も三本ほど見ました。」森林公園の関係者ではないようだが、奇特な人だ。「普通だったら、数本あったら増えるだろう。変異種じゃないかな。」とドクトルが鑑定した。

    【ベニスジ】 突然変異によって現れる大変珍しい個体。花弁に紅色の筋が入り、見た目も鮮やかです。年にほんの数株が開花します。(森林公園HP)

     ドクトルの言う通りだった。普通の山百合でもひと株にいくつも大きな花をつけているのもある。「十個以上咲くのもあります。」その割には茎が細いので、ちょっとした風でも折れやすいだろう。これだけ大きな花をつけるのだから、茎をもう少し太くするとか、進化の力が働いてこなかったのだろうか。
     林の方では虫の観察会が始まっている。少し離れたところで椿姫が煙草を吸いだしたので、私も煙草を取り出す。そこにロダンがかなり大きなカブトムシを腕に這わせてやって来た。「お姉さん、手を出して下さい。」「イヤよ。」椿姫は後ずさりする。「虫はダメなんですよ。」そこにドクトルから声がかかった。「ダメだよ、持っていっちゃ。幹に這わせてくれなくちゃ写真が撮れない。」
     カズちゃんは灌木の中に蝉の脱け殻を見つけて、「私はこれなら平気だわ」と手でつまんだ。「これはアブラゼミだね。」これを見ただけでそんなことも分かるのか。カズちゃんは椿姫に近づいていく。しかし右手に隠しているのが一目瞭然だから、椿姫は後ずさりするばかりだ。「ダメだってば。虫は嫌いなの。」
     幹に止まって樹液を吸っている蝶は、今朝見たクロヒカゲではないだろうか。しかしツカさんは即座に違うと判断した。「色があんまり黒くないでしょう。ヒメジャノメかな。区別が難しいんですけどね。」(と言っていたと思う。聞き間違いの可能性はある。)
     言われてみれば確かに色が少し薄い。目玉のような模様は蛇の目であり、ジャノメチョウ(蛇の目蝶)属という属がある。クロヒカゲはそのなかのヒカゲチョウ属に分類されるのである。
     「これは何ですか。」誰かが指をさす。枝に這っているのは毛虫ではないか。「種類は分かりませんが、蛾であることは間違いないですね。尺取りしてますからね。」ツカさんの回答だ。これも私には新しい知識であった。
     尾が青く光るトカゲがゆっくり草むらに入っていた。「尾が青いのは子供なんだ」と隊長が言うので驚いた。私は大人のトカゲも尾が青いものと思っていた。「何トカゲだい。」「ニホントカゲだろう。」

    幼体は体色が黒や暗褐色で五本の明色の縦縞が入る。尾は青い。オスの成体は褐色で、体側面に茶褐色の太い縦縞が入る。繁殖期のオスは側頭部から喉、腹部が赤みを帯びる。メスは幼体の色彩を残したまま成熟することが多い。(ウィキペディア「ニホントカゲ」)

     金属的な光沢のある青はなかなか綺麗なものだ。この蜥蜴を見て、あんみつ姫は「綺麗」と叫んだことがある。これに比べるとカナヘビは地味で少し可哀そうだ。蜥蜴は石竜子とも書くと私は初めて知った。知らなかった文字を知ると、なんとなく恰好つけて使いたくなってくる。

     陽光に目の眩みたる石竜子かな  蜻蛉

     「アッ、オオムラサキだ。」コナラの木にオオムラサキがやって来た。「紫色してないじゃないですか。」椿姫は不満だが、「メスだからね」と隊長の返事は素っ気ない。私もオオムラサキと言うからにはもっと艶やかな色だと思っていた。オスに比べてメスの色は地味に出来ているらしい。
     蝶は幹にくっついて離れない。翅を閉じたり開いたりして私たちに写真を撮るよう促しているようだ。開いた部分(表側)の紋様が綺麗なので、そこに合わせようとするのだが、シャッターを押すタイミングがなかなか難しい。六七回ほどやってみて、数枚は撮れたようだ。
     こんなに近づき、大きな声を立てていても逃げようともしない。幹に肢を踏ん張り、一心不乱に樹液を吸っている。「人なつっこいわね」と言う若女将の感想が面白い。「蜜を吸うのに忙しいんですよ。」カズちゃんは指で翅に触ってしまって、「手が写る」とドクトルに注意されてしまう。「私の芸術写真に、何本も手が写ってしまった。」こんなことをしていても、オオムラサキは逃げようともしない。そんなに腹が減っていたのだろうか。

     幹を抱き閉じては開く夏の蝶  蜻蛉

     オオムラサキは国蝶である。そう言うからには国家機関が決定したものかと思ってしまうが、実は政府は関与していない。昭和三十二年に日本昆虫学会総会で決められた。それに対してはこんな意見もある。

    しかし、本種は上述したようにベトナム北部から中国東北地方にまで及ぶ東アジアの広域分布種であり、日本の自然環境を代表する種ではない。したがって、本種が最初に発見されたのが日本であること(種の基産地は神奈川県)、ならびに属名のSasakiaが佐々木忠次郎に献名されたことを考えたとしても、現在では本種が「国蝶」であることを強調し、あるいは「国蝶」であるゆえに他のチョウとは何か異なった重要性や希少性があるような論議にはあまり意味がないと考えられる。(ウィキペディア「オオムラサキ」)

     因みにキジが国鳥になったのも日本鳥学会の選定である。おかしいのは、選定理由の一つに「美味い」という項目が入っていることだ。(http://jyapan-kiji.meblog.biz/)勿論、最も大きな理由は日本固有種だということだ。しかし国鳥に定めておいて、狩猟を奨励するような「美味い」という理由は如何なものであろうか。
     コブシ(辛夷)の実はまだ青くて、ひとつひとつの丸い形がはっきりしている。もうしばらくすると、これがみなひと塊りになって握り拳のような形になるのだろうか。握り拳のようになったコブシの実を中国の賈美人に教えながら、講釈師が『北国の春』を歌っていたこともあった。
     「コブシって、あのモクレンみたいなものなの。」「そうです。」若女将と古道マニア夫人が、それがコブシの語源なのかと感心している。「そうよね、花の形は拳と違うからね。」「でも、来年になればまた忘れてしまうかも知れないわ。」
     雅の広場に出る藪には、ウマノスズクサというものがあるらしい。今朝から椿姫がその名前を口にしていたから、隊長が教えているのだろう。私はそれを見ずに真っすぐに池に向かった。赤紫のスイレンがいくつか咲いている。
     池の周りのブロックの一部が壊れているのは地震のせいだろうか。チョウトンボ(蝶蜻蛉)の幅広な黒い翅は青く光って美しい。後ろの翅の幅が広く、普通の蜻蛉に比べて胴体が短い。翅が大きいから蝶と呼ばれたかと思ったが、飛び方がゆったりしているのが蝶を連想させたと言うのが由来らしい。

     原発の行方のごとく蝶蜻蛉  閑舟

     胴体がやや太くて、頭の先から尻尾まで真っ赤なトンボは、ショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)だ。翅は模様もなくほとんど透明に近いだろうか。全身真っ赤な色からすれば、文字通りアカトンボと呼んでも良い。但し色は鮮やかだが毒々しい感じもして、三木露風の歌のような郷愁を誘う姿ではない。
     「これって赤とんぼじゃないんですか。」われわれ素人を代表してマリーが隊長に質問した。「ショウジョウトンボはアカトンボとは言わないね。アカトンボはアキアカネ。」赤トンボは赤いトンボと思うのは素人で、専門的には、アキアカネだけがアカトンボと呼ばれる資格があるらしい。「暑い時期は避暑に行っている。」今の時期は標高の高い所にいて、秋になり涼しくなってくると低地に下りて来るのだそうだ。
     「戦闘機みたいだ。」ロダンの言葉を聞いていたコバケンが「そうね、複葉機に似ている」と頷いている。ショウジョウトンボの真っ赤な胴体と透明な翅は、見る角度によって確かに複葉機を連想させる。因みに「赤とんぼ」と呼ばれた複葉機は、旧日本陸軍航空隊の練習機である。と書いていて、気になったので『荒鷲の歌』を確認してみた。

    見たか銀翼 この勇姿
    日本男児が 精込めて
    作って育てた わが愛機
    空の護りは 引き受けた
    来るなら来てみろ 赤蜻蛉
    ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ(東辰三作詞・作曲)

     これまで深く考えたこともなかったが、「来るなら来てみろ赤蜻蛉」は、米英の戦闘機を言っている言葉だと、私は何の疑いもなく信じ込んでいたらしい。来るなら来い、叩き伏せてやる。しかし赤蜻蛉が練習機だとすれば、解釈はまるで違ってしまう。練習機に乗る未熟な航空兵に、「空の護りは」俺が引き受けたからお前たちは安心しろと言っているのである。同時に、未熟な練習機が俺について来れるかと揶揄してもいるのだろう。
     思いがけず主義に反して軍歌を引用してしまったのは遺憾なことであった。気分を変えなくてはいけない。三木露風・山田耕筰の『赤とんぼ』は誰でも知っているから、歌謡曲史上最高の歌手ちあきなおみの『紅とんぼ』を引いておこう。遠慮して第一連だけにしておく。たぶん共感するのはロダンだけだとは思うけれど。

     空にしてって 酒も肴も
     今日でおしまい 店仕舞い
     五年ありがとう 楽しかったわ
     いろいろお世話になりました
     しんみりしないでよケンさん
     新宿駅裏 紅とんぼ
     想いだしてね 時々は(吉田旺作詞・船村徹作曲)

     イトトンボ(糸蜻蛉)もスーッと飛んできて、草の先に停まった。「何て言ったっけ。」今朝の若女将の言葉をもう忘れてしまって宗匠に訊いた。「エートネ、トウセミだよ。」これが池袋方言に言うトウセミだった。

     糸蜻蛉水面に赤き花三つ  蜻蛉

     「お二人はいつも仲が良いですね、うらやましい。」カズちゃんが若旦那夫妻に言っていると、「逆らわないのが秘訣です」と若旦那が笑う。
     「あれはオニヤンマ(鬼蜻蜓、馬大頭)。」蜻蜓とは、知らなければ絶対に読めない字である。馬大頭という表記もなんだかおかしい。「あれはツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)じゃないかな。」
     まだウマノスズクサを見ているらしい人たちがいる藪の方に戻ると、ジャコウアゲハ(麝香揚羽)が草むらで翅を広げていた。ここでも椿姫はいつでも逃走できるよう、離れた位置で様子を窺っている。心底虫が嫌いなのである。「子供のころ、一大決心してトンボを捕まえようと思ったんです。長い時間ジーっと見つめてたけど。でもダメでした。」「トンボも驚いたでしょうね。いつまで待っても捕まえに来ない。」
     そこから下って行けばもう南口だ。バスが出るまで十分もない。隊長のペースは絶妙であった。椿姫は車だからここでお別れ、ツカさんもトンボをもっと観察するというのでお別れする。宗匠は大事な万歩計を忘れて来た。従ってロダンの申告を公式記録として採用すると、一万三千歩、八キロ程度であった。

     捨てる紙あれば拾う神あり  泥美堂

     これでは何のことか分からない。聞いてみると、ドクトルが二度も資料を落としてしまって注意を受けていたらしいのだ。「最初のカミは紙、次のカミは神です」とダンディが念を入れる。体に力が入らなかったチイさんは、今日は句を詠まなかった。
     駅に着いたのは三時半を回ったころで、この時間なら喫茶店に入ることもない。講釈師がいれば喫茶店は必須だが、今日は何も問題ない。まっすぐに川越に向かうことになった。コバケンさんは所用があって反省会には参加できない。
     川越のさくら水産は土曜日曜には昼間十二時から開店している。「この店は偉い」とハコさんが声を出す。トイレで着替えると、チイさん、スナフキン、ダンディも交代で着替えてきた。「チイさん、もう気分は復活したの。」「私は五時から男になったみたいだ。もう完全復活です。」いつもビールは一杯だけにしている私とスナフキンも、今日は二杯飲んだ。やはり暑かったのだ。ひとり二千三百円也。
     二時間飲んでもまだ六時だ。外は明るく、クレアモールは人が一杯だ。こんな時間に帰るわけにはいかない。嫌がるカズちゃんをロダンが無理やり拉致して、すぐ近くのカラオケ館に入った。ハコさん、チイさん、ロダン、カズちゃん、マリー、蜻蛉である。
     ハコさんは『双葉山』なんていう誰も知らない演歌を歌って、「百人中九十九人、いや千人中九百八十八人は知らない」なんておかしな自慢をする。数字を端数まで細かく言わないと気が済まないひとだ。「五時から男」として復活したチイさんは、いつものように心を込めて歌う。ロダンは相変わらず破れかぶれで、なんでもかんでも大量に選曲してしまう。お蔭で時間切れになるかと心配したが、今日はちゃんと隊長の愛唱曲『朧月夜』で締めくくれて良かった。

    眞人