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    平成二十四年七月二十八日(土) 森林公園

    投稿:   佐藤 眞人 氏     2012.08.16

     旧暦六月十日庚寅。昨日は土用の丑の日だった。高騰甚だしいという噂だから今年は無理かと思っていたが、妻がどこからか安い鰻を買ってきた。
     朝から暑い。体感的にはもう三十度を超えているようで、クーラーなしでは耐え難い。この季節は弁当が心配だから、昨日カインズホームで四百九十円で買ったクーラーバッグに入れてみる。お菜入れのタッパーウェアとおにぎり二個を重ねて具合が良い。妻が仕事に持っていく百円ショップのものより余程冷えが持続しそうだ。
     九時に出れば充分間に合うのに、タバコが切れているので我慢できずに八時半に家を出てしまった。案の定早過ぎて、森林公園駅に着いても誰もいない。北口に降りてタバコを吸っていると隊長が階段から降りてきた。同じ電車だったかも知れない。
     「早いじゃないか、どうしたの。」「ちょっとね。」隊長はおにぎりを一つ取りだして食べ始めた。「普段、朝飯はあんまり食わないんだけどね。」これだけ野外活動をする人が、朝飯を食わずに大丈夫なのだろうか。「夜に集中して食べるよ。」普通とは逆の発想だ。
     森林公園には今月もう五回も来たそうだ。年間パスポートを持っているから何度来ても良いが、それにしてもご苦労なことである。余程暇なのであろうか(と言ってはいけない。一所懸命下見をしてくれているのは有難いことだ。)「でも交通費が高いんだ。」私も六十歳を過ぎて貧しくなってから、ちょっと遠出すると交通費が懐に堪えてくる。
     二人で改札口に戻ったものの、九時半になってもまだ誰も現れない。今日は隊長と二人っきりのデートになってしまうのだろうか。それはとても怖ろしいことのように思えた時、ドクトルの顔が改札に見えたのでホッとした。「久し振りじゃないですか。」「このところ、用事が重なってさ。」それにしても出足が鈍い。「こんなに暑い日だからね。」オリンピック開会式を最後まで見ていて間に合わない人もいるかも知れない。
     四十分頃になって、他のメンバーもやっと姿を現してきた。ドラエモンに会うのは一年振りだ。森林公園が大好きなひとだから、去年もここで会っている。「女房に車で送ってもらったんですよ。」案外気づかないことだが、鴻巣からこの辺まで直線距離で七キロ程だろうか。車を利用すれば二三十分で来る。鴻巣から東松山までバスも走っているから意外に近いのだ。
     「どこかに売店はあるかしら。お弁当が腐っちゃうと厭だから持ってこなかったのよ。」いとはんが隊長に訊ねている。「コンビニはそこの南口の階段を出たところにもあるけど、大丈夫、森林公園の中にもあるから。」
     改札口の脇の壁には棚が設えてあり、その上にツバメが巣を作っている。一羽が飛び出してきたが、巣の中からはまだ二三羽頭を覗かせている。向かい合った壁にも巣があって、この駅ではツバメを格別に保護している形跡がある。「珍しいじゃないの、こんなにツバメの巣があるなんて。」いとはんは感激している。実はこの駅の構内には十個以上のツバメの巣があって、駅員が保護しているそうだ。

      改札をかすめて早し夏燕  蜻蛉

     隊長、ドラエモン、古道マニア夫妻、ドクトル、あんみつ姫、マリー、マズちゃん、いとはん、蜻蛉。伯爵夫人は地元の人なのに来ないのだろうか。「ダンディは来るって言ってたんですけどね」とあんみつ姫が首を捻る。さすがの鉄人も、この頃の暑さには勝てなくなったか。チイさんは農作業が忙しいらしい。桃太郎は富士登山の疲れが残っているのかも知れない。宗匠の講座受講も今月で終わる筈だし、もう少し涼しくなればロダンも帰ってくるだろう。

     いつもは土日だけ運行する森林公園南口行きのバスを利用するのだが、今日は立正大学行きに乗る。途中で南口入口という停留所で停まったが、ここでは降りない。「停留所の名前が紛らわしい。ここからだと結構歩くよ。」次の西口前で降りると、ちょうど横断歩道の信号が青になった。この道は横断歩道がなければ危険である。「八十キロから百キロくらい飛ばしますからね」と古道マニアも言う。いとはんはそんなことは夢にも思わず、のんびり最後尾で歩いているから、ギリギリ信号が変わるところでようやく横断し終わった。
     ここから入るのは初めてだ。一般は四百円、六十五歳以上の「シルバー」は二百円である。入場券を買っていると伯爵夫人の姿が見えた。自転車で来たらしい。これで十一人になった。
     階段を上って園内に入る。たまにはコースを変えたいという隊長の判断である。売店に入ったいとはんが、「まだお弁当屋さんがきてないんですって」と戻ってきた。「売店は昼飯を食べるところにもあるからね、大丈夫ですよ。」
     左手の方では子供たちの歓声が上がっている。水遊び場があるようで、真っ裸になった幼児の小さなお尻が見える。木陰でシートを敷いて何かを食っている母親らしい姿も見えた。黄色いチョウが飛んでいる。「モンキチョウ。」「キチョウだよ。」林の中を歩いて行くと、ミンミンゼミの声が聞こえてくる。私は今年初めて聞くようだ。
     ウグイスに混じってガビチョウの喧しい鳴き声も聞こえる。「そこにいますよ。」木の下を歩いて藪の中に入って行った。「この頃、ずいぶん下に降りてくるようになったね。」「以前は木の上にいてなかなか姿が見えなかったけど。」「ガビっていう蝶かい。」ドクトルだって知っている筈だけどね。
     ドラエモンは「峨眉山のガビですよ」と言うのだが、ウィキペデイアによれば画眉と書く。「目が白いんだ。」目の周りと言うべきかも知れない。城西大学図書館にいると、頻繁にこの鳴き声が聞こえて煩い。私もすっかりお馴染みになった声だ。
     紅黄葉樹園というのは、つまり雑木林のことであるらしい。アメリカガシワ(ピンオーク)というものを隊長が教えてくれる。葉っぱが柏餅を包む葉によく似ているのである。ブナ科コナラ属。別名はアメリカナラ。オークとは樫の木じゃないか、ナラとは違うのではないかと悩むのは、私が無学のせいであった。英語の得意な人には笑われてしまうだろう。オークはブナ科コナラ属の総称である。そして広義のカシがブナ科の常緑高木をさし、狭義のカシ(樫)がブナ科コナラ属のなかの常緑性ものを言う。こんなこと自体私は知らなかったのだから、どうしようもない。
     「ミツバウツギの実だよ。」平べったいハート形の袋の中に実が入っているのだ。ウツギとつけられている樹木は多すぎて、何が特徴なのかよく分からない。これは花がユキノシタ科のウツギに似ていることから付けられたと言うのである。ミツバウツギ科。
     隊長は雑草の中に踏み入って何かを探している。「この辺にいるかも知れないんだ。」木の幹にはコナラの札が掛けられている。「今日は樹液が少ないね」と言っているとたん、チョウが飛び立った。それを隊長が簡単に捕えた。「ずいぶん、のんびりした奴だよ。」オオムラサキである。「腹がずいぶん太いね。」しかし暴れるから翅の模様などは良く観察できない。「早く逃がしてあげましょう。チョウも疲れてしまいますから。」「そうだね。」オオムラサキはやっと飛び出していった。
     カズちゃんは短めのズボンで、くるぶしから十センチほど素肌を見せている。これでは草むらに入って行くのは難しい。「だって靴下嫌いなんだもの。」マリーも似たような格好だ。「長いズボンにしようと思ったんだけどね、暑さに耐えられなかったわ。」
     そもそも今日は森林の中を歩くのだから、それなりの準備をして来なければならない。「それに半袖も良くないですね、何が出るか分かりませんから。」姫が半袖の私に向かって言う。そこまで気づかなかった。なるほど、ほとんどの人が長袖シャツを着ている。隊長はスズメバチに刺されても平気な人だから半袖でも良いのだろうか。いとはんとカズちゃんは半袖だったが、ちゃんとアームカバーを装着している。女性はこういうものがあるから良い。男物なんかないだろうね。と思ったら、実はちゃんとある。しかし結構高いね。安いものでも千五百円から二千円位する。
     ヤマユリの香りが高くなってきた。特に群落には指定されていないが、ヤマユリが何本も咲いている。「きれいだけど、この花粉が服に着くとなかなか落ちないのよね。」水の濁った沼に出て、「泥沼だよ」という古道マニアの言葉に思わず笑ってしまった。言い得て妙だと思ったが、地図を開けばなんだ、泥沼というのが正式名称らしい。てべ沼というのは何の意味だろうか。

     「もう少しで開けたところに出ます。」「ずっと木陰の方が良いよ。」日向と日蔭では体感温度に相当な差がある。木陰でももう汗びっしょりなのだから、「開けたところ」に出ればどうなることか。
     「そろそろお腹が空いてきたわ。」まだ十一時を過ぎた頃だが、姫は朝バナナを食ってこなかったのだろうか。ハーブ園に辿り着いたが、中には入らない。園の周囲の塀に沿ってボーダー花壇が続いている。どうせ園芸種だろうから、この会の人は関心を持たないのではないだろうか。「ボーダーって境界のことだろう。何の境界だろうか。」道路の両側に、いくつかのブロックに仕切られた花壇が続いている。私も原産地とか種別毎に区切っているのかと思ったが、これはガーデニングの専門用語であった。

    ボーダー花壇とは、塀やフェンスなど境界線に沿って、背の低い種類から背の高い植物へと立体的に花を咲かせていく花壇で、境栽花壇とも言います。イギリスでよく見られる植栽方法で、自然な風景を庭に再現するように配置するので、いろいろな種類の草花を楽しむことができます。(http://doit.co.jp/howto/howto04/027/)

     「珍しい。」「面白い形だわね。」パイナップル・リリーと言う。ユリ科で、背丈三十センチから五十センチほどで、小さな白い花が筒を一面に覆うように咲いていて、その筒のてっぺんに緑の葉が髪の毛のように立っている。確かにパイナップルを連想させる姿だ。南アフリカ原産、ユリ科ユーコミス属。ユーコミスというのは「美しい頭の毛」という意味だという。頭髪のことは余り話題にしたくないが、「美しい」と言うより、水木しげる「河童の三平」の主人公の頭髪のような感じだ。
     花弁は六枚。「ガクが三枚、花弁が三枚。ユリ科の特徴ですよ。」ドラエモンの言葉で、去年ヤマユリを見ながら教えてもらったことを思い出した。根元が丸くなって細く伸びている雌蕊の回りに細い雄蕊が五六本伸びている。
     クサフヨウ(アオイ科フヨウ属)、ムクゲ、サルスベリ、クサキョウチクトウ(ハナシノブ科)。この長い花壇は三百メートルほども続き、それが尽きると植物花木園になる。「蜻蛉さん、あれですね。」姫の言葉で前方を見れば、入口のアーチにノウゼンカズラがまとわりついていた。
     ヤマボウシの実は表面がでこぼこしていて、ハナミズキの実がつるつるしているのとは対照的だ。隊長はヤマボウシの葉の裏の葉脈に茶色の毛があると強調する。「腋毛みたいなもんだよ。」腋毛ネエ。ヒマラヤヤマボウシは、花弁(実はガク)の形がヤマボウシよりはハナミズキ(アメリカヤマボウシ)に似ているから、そっちの類縁なのだろう。やや緑がかっていて、真ん中にあるホントの花もヤマボウシよりは大きいようだ。
     それにしても、今年はヤマボウシの花をあまり見なかった。城西大学正門を潜ったところに大きな木があるのだが、梅雨時の一瞬、ごく一部が咲いただけで終わってしまった。なんだか残念だった。
     ナツハゼ(ツツジ科スノキ属)の実。スノキは酢の木で、甘酸っぱい果実を生すということのようだ。ブルーベリーなどと同じ属である。「これは食べられるよ。」但しまだ少し時期が早い。これがなぜ、「ハゼ」の名をもつかと言えば、櫨のように紅葉が美しいからというのである。植物の名前の付け方は、実にいい加減だ。
     トチの実がこんなに大きいとは知らなかった。たぶん私は初めてみる。イガはないが、この中に栗に似た種子が入っているらしい。「トチの実って食えるのかい。」かつては救荒作物として重宝したし、縄文遺跡からも出土する貴重な食料だった。「今ではお餅にしかできませんけどね。」私がそういうものを食わないのは皆知っているだろう。だから私はトチの実を口にしたことがない。「かなり灰汁抜きが必要なんだよね。」「水に晒して食うなんて誰が発明したんだい。」ドクトルは不思議な質問をする。
     狩猟採集時代にトチノミはドングリ、クルミ同様に保存の効く貴重な食糧であった。こうした硬い木の実が食えるのを発見したのは、縄文時代の偉大な知恵だろう。硬い木の実を食うためには、煮るか焼くか、砕いて擂り潰すかだ。いくつかの方法を試みているうち、水に晒すという技術が生まれたのだろう。
     簡単に手順を示すと、こんな具合だ。乾燥させたトチの実を水につけると泡が出る。この泡がサポニンだ。皮を剥いで水に晒す。後に湯で煮込んでから木灰液に漬け、洗浄する。
     (http://tochinomikenkyukai.web.fc2.com/processing_tochi.htmlより)これに数週間かかるようだ。
     「あれは、スモークツリーかしら」とイトハンが指差すのは、確かにハグマノキ(別名スモークツリー)と書かれている。ウルシ科。日本語でも煙の木、霞の木と言う。花が終わった後、花柄が長く伸びて毛のようになったものらしい。ハグマは白熊である。ヤクの尾の長い毛で、旗竿や矛先、兜などに着ける飾りを言うのである。その毛を赤く染めればシャグマ(赭熊・赤熊)になる。シャグマは知っていたが、色で呼び方が違うことは知らなかった。
     戊辰戦争で、西軍の指揮官が頭に被っている獅子頭のようなカツラもこれである。こんな区別があるとは知らなかったが、土佐はシャグマ(赭熊)、薩摩はコグマ(黒熊)、長州がハグマ(白熊)と決められていた。そして、これは江戸城の蔵に大量に保管してあったものを、西軍が分捕ったものらしい。(ウィキペディア「ヤク」より)つまり、映画やドラマでよく見る西軍指揮官のあの頭の恰好は、江戸開城以後でなければならない。輸入品だから貴重なものであった。
     「フサフジウツギかブッドレアか分からない。」古道マニアが遠くから見て悩んでいるが、近寄ってみれば、名札には「フサフジウツギ(房藤空木・別名ブッドレア)」と書いてある。「なんだ、同じものだったのか。」私はどちらの名前も初めて耳にする。フジウツギ科フジウツギ属。小さな花が房状になっている。
     これもウツギか。仕方がないから調べてみると、ウツギと名のつくのは次の四つの科に存在するらしい。ユキノシタ科(ウツギ、バイカウツギ、マルバウツギ等)。ドクウツギ科(ドクウツギ)。スイカズラ科(ツクバネウツギ、ハコネウツギ、タニウツギ等)。フジウツギ科(フジウツギ、コフジウツギ)。
     「これはネムノキみたいだけど。」カズちゃんの言葉に姫が枝に触って驚いた。「危ない、トゲがあるんです。ニセアカシアかしら」と首を捻る。確かに葉はニセアカシアに似ているようだ。「そこに大きな豆が生っている。」「分かった、これはサイカチじゃなくて。」サイカチの実はもっと長かったような気がする。「エンジュですか。」「違う。エートネ。」なかなか単語が出てこない隊長がやっと思い出した。「ジャケツイバラだよ。」蛇結茨である。ジャケツイバラ科。つまり、これらの葉はみな似ているということか。
     まだ青く小さなリンゴのような実をつけているのはミカイドウ(実海棠)だ。バラ科リンゴ属だから、この実は食えるのだと思う。
     エゴの実も初めて見る。薄く緑がかった白っぽい卵形の実が、長い柄の先に垂れているのだ。「鳥は食べないんでしょうね、エグイから。」ドラエモンの言うとおり、実にはエゴサポニンという毒を含んでいて、これがエグさの正体である。かつては実や根を川で叩き潰して流して魚を麻痺させて獲る漁法が行われたらしい。しかしヤマガラは好んで食うらしいのだ。変な鳥だ。実はエゴサポニンは実の皮に含まれており、ヤマガラはそれを割って中の種子だけを食う。賢いのだ。
     そろそろ私も腹が減ってきた。「それじゃ戻って昼にしましょう。」途中で、姫が立ち止まって喜んでいる。「ウサギのウンチです。」なるほど、やや濡れたような粒状の塊があった。「ウサギがいるんですね。良かった。」「ノウサギだろう。」「そうですね。」
     ウサギの糞はもっとコロコロと乾燥したものかと思っていた。調べてみると、これは盲腸糞(盲腸便)というものらしい。植物細胞を包むセルローズは簡単に分解できない。これを盲腸内の酵素で分解させ、ビタミンB郡・タンパク質などの必要な栄養素を合成するというのである。従ってこれはウサギにとっては「糞」ではなく、体内で加工した二次食品であり、これを食う(糞食と言う)のである。これを食った後の糞は、水分もなくなり、もっと乾燥したものになる。

     もう一度ボーダー花壇の前を戻り、緑化植物園の前の休憩所に着いた。木陰にテーブルがいくつも並べてあってちょうど良い。そばには売店もあるので、いとはんは弁当を買いに向かった。
     リュックを下したとたん、姫は「あっ」と声を出し、すぐに脈を測り始めた。どうしたのだろう。「脈が飛んでるの。」熱中症ではないのか。「すぐに冷やした方が良い」と言うドクトルの言葉でトイレに向かった。
     姫は「顔が真っ赤になっちゃった」と言いながら戻ってきた。大したことではなかったようだ。「しょっちゅう脈が飛ぶんですよ。」脈が飛ぶとはどういうことだろうか。調べてみるとこれは不整脈の一種で期外収縮というものらしい。

    幸いな事に期外収縮の大半は治療の必要が無く、心配の無い脈です。期外収縮は年齢、性別に問わず誰にでも起こる脈で、体質にも影響され、また年齢が上がるに連れて多くみられます。三〇歳を超えると殆どの人が一度は感じた事があると思いますが、実際は起こっているのに気がつかない場合も多いようです。神経質な方の方が脈のちょっとした乱れにも敏感に感じられるようです。(中略)
    殆どの場合、危険性はありませんが、以下の状況は注意信号です。
    ・ めまいや失神が伴う場合(期外収縮が連続して起こっている可能性がある)
    ・ 胸痛、息切れ、発汗が伴う場合(狭心症の症状に当てはまる)
    ・ 運動をすると頻度が増す(一般的に良性の期外収縮は運動すると回数が減る)
    http://www.nihonclinic.com/japanese/column/columns/0606pulse.html

     取り敢えず大事ではなさそうだ。私は脈を測ったこともないから自覚したことはないが、案外こんなことが自分にも起こっているのかも知れない。酒の飲みすぎ、睡眠不足、疲労、ストレスなどによっても惹き起こされるという。私はこの頃睡眠不足気味だから注意しなければならない。
     クーラーバッグはちゃんと使命を果たしてくれた。保冷剤はまだほとんど凍ったままで、頭に載せると気持ちが良い。ドラエモンは朝採れのトマトを出してくれる。「作ってらっしゃるの。」「家庭菜園ですよ。皮が硬いけどね。」ミニトマトより少し大きくて細長いもので、充分旨い。素朴な酸味があって、いま時では珍しい味かも知れない。「どうして冷たいんですか」と伯爵夫人が驚いているのは、文明の利器を知らないのだ。イトハンは凍らせておいたオレンジを出してくれる。これも甘くて冷たくて旨い。
     食事が終わって三々五々立ち上がる。ここは木陰になっていて気持ちが良い。いとはんはベンチに仰向けに寝転んでいる。いつの間にかほぼ全員がソフトクリームを舐めている。「ほぼ」というのは、伯爵夫人はアイスコーヒーを飲んでいたようだからだ。私は何も買わなかった。姫も何事もなかったようにソフトクリームを舐めているから、体調は回復したのだろう。「あっ、溶けてきちゃったわ。」「食べるのが遅いのよ。」「隊長は早い。」
     さっきはベンチに留っていたウラギンシジミ(裏銀小灰蝶)が私のズボンに止まって動かない。このチョウは初めて見るが、翅を閉じていると銀一色だからウラギンである。モンシロチョウ程の大きさで、シジミ蝶の仲間だとすればかなり大きい。私はヤマトシジミしか知らなかったから、シジミ蝶というのは小さいものだと思い込んでいたのである。
     「チョウには好かれるのね。」「チョウだけか。」「汗とか尿の臭いが好きなんですよ。」つまり私はそういう臭いを発しているのだ。なかなか翅を開いてくれないので表の色が分かりにくいが、一瞬開いたところをみると赤茶色っぽい色をしている。

     朝持ってきたお茶がなくなり、ここで一本追加し、ゆっくり休んで出発する。低木の中を隊長が指さす。「なに、ヤマラン。」マヤランである。「マヤって南米かい。」私もドクトルと同じことを思ったが、摩耶蘭であった。神戸の摩耶山で発見されて名づけられたものだ。ラン科シュンラン属。隊長が先週来た時には花が咲いていて、その時に撮った写真を見せてくれる。シュンランに似ているような気がする。といっても私がシュンランを見たのは一度だけだから、記憶が違っているかも知れない。
     「やっぱり帰ります。」この辺で姫は大事をとって帰宅することを決めた。「今は大丈夫なんですけど、これから二時間歩くとなると心配で。」脈が飛んだことを考えれば、今日は静かにしていた方が良いだろう。それでなくても暑い日である。熱中症を発症してもおかしくない。大きな地図のある分かれ道で姫は西口に向かって去って行った。
     渓流広場から坂道を上ってヤマユリの小径に出る。「またヤマユリですか」と伯爵夫人が声を出すのがおかしい。ここからが本番で、あちこちに大きなカメラを構えた連中が陣取っている。倒れかかるように細い道を塞いでいるヤマユリには注意が必要だ。「服につくと取れなくなっちゃうからね。」
     いとはんはまだ半分以上凍っているペットボトルを首筋にあてながら歩いている。「気持よさそうね。」「三日位入れておくのよ。」その言葉に、「一日で充分だよ」と隊長が応じている。私はまだ試したことがないので、今度やってみようと思う。
     園内バスの停留所の辺りで休憩していると、ちょうどバスが止まった。「姫はこれに乗れば良かったのに。」しかし一時間に一本か二本しかないのでは、いつ来るか分からないのだ。大人は二百円、子供が百円である。最後尾に座っている男の子が人懐っこそうに一所懸命手を振ってくる。隊長が傍によると、ハイタッチしそうな素振りを見せたが、隊長がそれに気づかないのでちょっとガッカリしたようだ。仕方がないから私も手を振ってやる。バスの中で母親が笑っている。普段だったらもっと子どもたちが大勢乗っているのではないだろうか。今日は人が少ないように思える。
     やがて野草コース北入口に来た。今日はオオバギボウシを良く見る。ギンバイソウ(銀梅草・ユキノシタ科)、オミナエシ、キキョウ、ミゾハギ、アキノタムラソウ(シソ科アオギリ属)。アキノタムラソウを見るたびに、なぜこれがタムラソウと名付けられているのか不思議で仕方がない。タムラソウはキク科で、アザミのような花をつけるのに、これはまるで姿が違って、紫蘇みたいではないか。
     濃いオレンジ色が目立つのはフシグロセンノウ(節黒仙翁・ナデシコ科)だ。ドラエモンがカズちゃんに「花のさんぽみち」(森林公園野草コース山野草ガイド)を貸してくれたので、「あっ、これね」と確認している。この本は私も買っているのに、いつも持ってくるのを忘れてしまう。カズちゃんも買って持っている筈だ。
     レンゲショウマ(蓮華升麻・キンポウゲ科)は不思議な形をしている。というのは裏から見ているためだ。「これはガクです。」ドラエモンは詳しい。下を向いて咲いているから、手でむりやり上を向けると、真中が筒状になっており、これが本来の花弁なのだ。周りにあるのはガクである。
     「あの辺がクマガイソウの群落」とドラエモンが指をさす。私は一度だけ、それも盛りを過ぎた一輪しか見たことがないから、群生しているところは見てみたい。しかし今では時期的に遅すぎるよね。「四月中旬かな。あの頃が一番いい。」ドラエモンは年に五六回ここに来ているのだ。
     野草コースを出て細い山道を過ぎていくと梅林に出る。「香りがスゴイですね。」ここもヤマユリの見どころのひとつだ。「この辺に特別なヤマユリがあったんじゃないかしら。」マリーはよく覚えていたね。去年、ここでユマユリの専門家らしいオジサンが教えてくれたのだった。去年の日記を引っ張り出してみると、「ベニスジ」という突然変異個体があるのだ。「これじゃない。赤い斑点が多いから。」斑点ではなく、通常は黄色い筈の筋自体が赤くなってなければならない。それに去年咲いていた花が今年も同じように咲いているとは思えない。
     男性陣はコナラ(?)の木の観察に忙しい。「クワガタがいる。」「カブトムシ。」「何匹もいるよ。」私はこういうものにあまり趣味がないから近寄らない。頭だけになったクワガタが落ちている。「中身だけ食われちゃったんだね。」「こうなっても動くんだよね、ホラ。」「動かないよ。」「時間が経ち過ぎたんだ。」
     ジャノメチョウ(蛇目蝶)、クロヒカゲ(黒日陰)が飛んでいる。私はこの二つがなかなか区別できない。どちらも目玉のような模様がついているじゃないか。どちらも、ウィキペディアではタテハチョウ科ジャノメチョウ亜科に分類しているが、亜科ではなく、独立したジャノメチョウ科として扱うこともあるらしい。いずれにしても非常に近い種族なのだろう。ジャノメチョウは前翅に二つ、後翅にひとつ、目玉状の模様がある。クロヒカゲの方は、大小いくつもの目玉模様があるようだ。いくつか写真を見たが、その数も一定していないように見える。

     とんぼ池にやって来た。ここで去年初めてチョウトンボを見たのだ。そのチョウトンボが今年も飛んでいる。ウィキペディアによれば、蝶のようにひらひら飛ぶからこの名がついた。後翅が幅広い。姿も美しいが翅の色も美しい。基本的には黒あるいは暗紫色なのだろうが、角度や光の加減で油を流したように虹色に光る。私はトンボに詳しい者ではないが、今まで見た限りで最も美しい蝶だと思う。
     「そのイトトンボは何。」「クロイトトンボだね。」見つけにくかったが、水面近く、睡蓮の葉の上を細い蜻蛉が横断すると良く分かる。連結しているのもいる。細いので良く見えないが、尾の先が青くなっているようだ。銀ヤンマも飛んでいる。「やっぱり銀ヤンマが最高」と古道マニアが声を上げる。ショウジョウトンボもいたようだが私には見えなかった。女性陣は全く興味無さそうに、離れたところに腰を下ろして茫然としている。
     池を離れて雅の広場の藪で隊長が立ち止った。「この辺にウマノスズクサがある筈なんだ。」これは去年も聞いたような気がするが、どんなものだったか忘れてしまっている。「これですか」という古道マニアの声に、「そう、それだよ」と隊長が答えた。「馬の顔みたいだろう。」確かにそういう風に見える。ジャコウアゲハの幼虫がこれを食うのである。
     「あとは南口に出るだけです。」南口まで五百五十メートル。少し上り加減の道を登り切れば残り二百メートル。あっという間に南口に出た。広場ではアンケートを実施していて、これに記入すると、ハーブの種が貰える。「どれを貰ったらいいんだい。」「三つはだめですよ、ひとつ選ばなくちゃ。」
     入り口でバス時間を確認していた古道マニアが「三時九分発があります」と叫んだ。少し余裕があるかと安心して売店に入っていたドクトルを呼んで、バス停に走る。全員が乗り込んだ瞬間に扉は閉められた。
     窓の外で伯爵夫人が隊長に挨拶している。そうだった。彼女は西口に自転車をおいてあるんじゃないだろうか。これから西口まで一人で戻るのも気の毒なことだ。
     いつもは駅までノンストップで行く筈なのに、途中で「なめがわ温泉」というところで停まった。「初めてだね」とドラエモンと話していると、「そんなことない、いつも停まるよ」と隊長が言う。時間帯によって違うのだろうか。私はここで停まるバスに乗ったことがなかった。
     そもそも、こんなところに温泉があるなんて知らなかった。調べてみると平成二十二年四月に「なめがわ森林スパ 花明かり」としてオープンし、翌年五月から休業。八月に「なめがわ温泉 花和楽の湯」としてリニューアルオープンしたものである。それなら私が知らなかったのも当たり前だ。去年七月に来た時にはちょうど工事中だっただろうし、その前に来たのは平成二十年だから開業していない。
     滑川町羽尾二一七八。塩化物泉で料金は千二百八十円。男女別の内風呂、露天風呂に五種類の岩盤浴があって、コンセプトは「泊まれないリゾート」だそうだ。流行っているのかどうか分からない。
     次が終点の森林公園駅だ。「奥さんが迎えにきてくれるんですか。」「そんなこと言ったら大変。怒られちゃう。東松山からバスに乗りますよ。」電車には浴衣の娘が乗っている。甚平姿の男もいる。「祭りかい。」何の祭りだろうか。ドラエモンは東松山で降り、古道マニア夫妻は坂戸で降りて行った。

     川越に着けば浴衣姿がさらに多くなった。それは良いが、若い娘が甚平を着ているのを初めて見た。男であっても、甚平で街中を歩くのはバカである。これは室内着、精々家の近所をちょっと散歩する場合に許される。まして女が身に纏うものではない。こう言う私は頑迷固陋か。

    八月といえば夏本番!夏に似合うのは甚平
    というわけで今年の夏も甚平ファッションでオシャレに花火大会やお祭りへ!
    最近レディースにも人気上昇、目立つ!かわいい!の甚平ファッションがオススメ!
    今年は浴衣よりオシャレな甚平ファッションが人気なんです。
    http://blog.livedoor.jp/jinbei01/archives/cat_26270.html

     「目立つ!かわいい!の甚平ファッション」か。こんな記事を見るとクラクラしてくるぜ。家の中(private)も屋外(public)も区別がつかない若者が多過ぎるのは、こうした記事に煽られているせいだろうか。あるいは逆に、アホが増えすぎたので、それに迎合するものが現われるか。きちんと教えないから、娘たちが下着同然の姿で街中をうろつき回るのである。

     甚平の色とりどりに太き腿  蜻蛉

     ついでにこの種の記事を見ていて気になったことがある。男の浴衣に角帯を締めている写真が多いのだが、本来、浴衣に角帯は締めないものではないか。少なくとも昭和四五十年頃までは、男の浴衣といえば兵児帯だったと思う。今では全く着なくなったが、私も若い頃には兵児帯を締めていた。自分では結べない角帯を妻に締めて貰うのは、羽織を着るときだった。
     ただ兵児帯を尻の上で蝶結びにして垂らすのは余り格好良くはない。伸縮する柔らかい生地だから、あの結び方ではすぐにだらしなく伸びてしまう。兵児帯は三重位にきつく巻きつけて、脇腹の辺りで固く結ぶのが粋である。もっと驚いたのは、着付けを教える記事のほとんどが肌襦袢を薦めていることだ。浴衣は素肌に決まったものだろう。どうも私の常識が通じない時代になってしまった。
     クレアモールは人でいっぱいだ。「迷子になっちゃいそう。」「やっぱり川越の祭りじゃないか。」しかし川越祭りなら十月の筈だ。何だろうか。後で調べてみると、川越百万灯夏まつりであった。七月の最終土曜日と翌日曜日に行われるもので、私は知らなかった。

    川越百万灯夏まつりの前身である川越百万灯提灯まつりの由来は、川越城主松平大和守斉典候が病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典候から受けた恩義」に報いるため翌嘉永三年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げました。
    このことがきっかけになり、町中をあげて斉典候の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりとなりました。その後中断されていましたが、こうした由緒ある行事と斉典候の偉徳をしのぶ語り草から昭和三二年の夏に川越商工会議所の呼びかけで復活しました。
    昭和四八年より併催行事として歩行者広場が実施される様になり、昭和五七年には市制六〇周年を契機に名称も「川越百万灯夏まつり」と改められ、市民参加型のまつりとして生まれ変わり、現在まで関係各位のご協力のもと、小江戸川越の夏の風物詩として、盛大に開催されております。http://www.kawagoe.or.jp/natsumatsuri/

     ここに登場する松平斉典は川越藩第四代藩主で、藩校博喩堂を開講し、藩政改革に力を注いだ名君ということになっているらしい。

     兄・直温が二十二歳で死去したため家督を継ぎ、将軍徳川家斉から偏諱を受けて矩典(とものり)から斉典と改名した。直基系越前松平家は度重なる転封により借財が二十三万六千余両(一両=八万円換算とすると約百八十九億円)も累積しており、その利息と返済のための新規借入が年々四万両(同・約三十二億円)に上るという状況になっていた。現在でも名君として称えられる斉典の藩政はこの借財との闘いの連続であった。(ウィキペディア「松平斉典」より)

     この財政難を一挙に解決しようと豊かな土地への転封を願った。最初は姫路を望んだが果たさず、次いで出羽庄内に決まったものの、庄内農民の反対にあって幕命が撤回された。これは前代未聞のことであり、結局武蔵国内での二万石加増が実現された。結果的には川越を離れることはなかったが、できれば逃げ出したかった川越で、夏祭りの原因になるとは思わなかっただろう。
     斉典は膨大な累積赤字の中で川越乗本丸御殿を建築しているのである。これにも相当な金額が必要だったはずで、その原資はどこから持ってきたものだろうか。私は江戸期の「名君」という評判は、まず眉唾ものだと思っている。
     切子灯籠とはどういうものだろうかと、こんなこともいちいち調べなくては分からないのが嫌になる。切子とは、立方体のそれぞれの角を切り落とした形を言うらしい。私は江戸切子からの連想で、硝子で出来ているのだろうかなんてバカなことを考えてしまった。この形を木枠で作って火袋とし、四方の下の角に造花や紙・帛などを細長く切ったものを飾りつけるのである。地域や宗派によって形に違いはあるようだ。
     いとはんは、この時間で店がやっているのかと不安そうだが、ここのさくら水産は、土日は昼からやっている。四時を少し過ぎた頃で、飲み始めるにはとても良い時間だ。靴を脱いで座敷にあがって、男女三人づつが対面式に席に着く。「靴を脱げるのが嬉しいわ」と、いとはんは変なことに感激する。今日は桃太郎がいないので、私が勝手に注文してしまう。カズちゃんが刺身が苦手なのを忘れていたが、とにかくビールが旨い。珍しく二杯も飲んでしまった。
     握り鮨二皿は注文してないよ。いったん引っ込んだ店員が、私がさっき赤鉛筆でチェックした注文書を持ってきた。「ここにあります。」漬物を注文するつもりで隣の欄にチェックを入れてしまったのである。桃太郎かチイさんがいないと注文もまともにできない。「ゴメンゴメン。ついでに漬物もお願い。」二時間半ほどで終了。計算が出来ない私に代わってマリーが計算する。「安いね。」「やっぱりさくら水産だ。」

    蜻蛉