森林公園(日中友好編)   平成二十年八月二十三日(土)

投稿:   佐藤 眞人 氏     2008.09.20

 天気予報では午後から降り始めるはずの雨が、家を出たときから既にしとしと降っている。北京オリンピックでソフトボールの試合中に雨を降らせた秋雨前線が、昨日から日本列島に下りて来た。八月だと言うのに気温も上らず、昨日までとはまるで違ってしまった。こんな日は着るものに悩んでしまって、仕方がないから息子のお下がりの長袖シャツを引っ掛けてきた。

 武蔵野の夏は突然逝きにけり  眞人

 「佐藤さんがサブリーダーなんかやるから降るんだよ。頼むからさ、暫く何もしないで静かに生きていてくれよ」講釈師の毒舌が朝から始まる。今回も隊長は歩けないから、あっちゃんがリーダーになり、ダンディと私がサブリーダーに指名され、二週間前に下見をした。そのときはちゃんと晴れていたのだ。講釈師が参加したから雨になったのではあるまいか。

 夏逝けり世界の雨は我が責か  眞人

 こんな天気だから参加者は少ないのではないかとリーダーは不安だったが、その予感は嬉しいほうに外れた。十時二分頃、十時五分発のバスに乗り込んだときには十八人、そこにようやくダンディが若い男女を連れて到着した。「絶対来るって言ってたのに、どうしたのかしら」寺山さんが心配するのは、佐藤紀子さんと高橋さんのことだ。「それなら同じ電車でしたよ」ダンディが見かけたというのに二人の姿は見えない。岳人が駅まで見に行っても分らない。どうしたのだろう。私もバスを降りて駅のほうに向かったところで、あたりを不安そうに見回している二人の姿が見えた。「走って」これで二十三人が揃った。
 リーダーのあっちゃん、阿部、大橋、佐藤紀子、高橋、寺山、堀内、村田の女性陣。画伯、宗匠、恩田、ロダン、殿の清、チイさん、長老、岳人、ダンディ、ドクトル、講釈師、皆川、私の男性陣。それにダンディの伴ってきたのは素敵な中国人ゲストだった。日本語の達人で色白の美女は賈秀梅さん、埼玉大学で日本文学を研究している。その夫君で日本語はできないが優しそうな李建東さんは、東京理科大学で生産管理を研究している。二人とも大学の先生で、三十歳代だという。長老から見れば孫の世代だし、本日最年少の岳人からしても二十歳ほど離れている。彼らが若過ぎるのか、私たちのグループが年取っているか。
 高齢者割引はないが、二十人を越えると団体扱いが適用され、通常四百円のところが二百八十円になる。受付でリーダーが申込書に記入し、合計六千四百四十円は纏めて払わなければならない。全員からそれぞれ徴収し、その小銭を受付のカウンターで数え始める。私と美女は何回数えてもうまくいかない。ロダンも入ってくるが、どうやらこの三人は金の計算が苦手と分った。とうとう受付の女性が「私が数えます」と引き取ってくれ、電卓を駆使した結果、六千四百四十円ぴたりと合った。

 入り口を入ったところの売店で野菜を買おうとした人もいたが、こんな天気だから今買わなくても午後まで残っているだろう。それに、これから歩こうと言うのに、「茄子なんか買っちゃ、重くてしょうがないよ」と堀内さんが言うとおりだ。
 最初は山田城址に上る。「あっ、山田さんがいないわね」雨だからだろう。忍城の出城だったようで、戦国時代の平山城になる。案内板には秀吉の小田原攻めの際に、前田利家によって滅ぼされたと書かれている。
 美女は中国語と英語をチャンポンにしながらゲスト夫婦に一所懸命説明している。その中国語はわずか半年ほどの通信教育で身に着けたものだという。「スゴイですよね。私なんか十年も英語を習ったのに全く駄目ですよ」ロダンだけではない。私だってご同様だ。「単語だけですよ」と美女は謙遜するが、偉いものだ。私なんか英単語だって並べられない。そして、それよりも賈さんの日本語がスゴイ。能力の無い私にとっては、語学と言うのはなにか信じられない特別な才能ではないかと思われる。
 講釈師も負けてはいないが、彼は日本語しか喋らない。「城」という文字を指しても、中国の城と日本の城ではずいぶんイメージが違う筈だから、分ってくれただろうか。砦と言う単語も飛び出した。この頃の城に天守閣がないというのは、ロダンが言う通りだ。平になった一角を巡らすように、堀が掘られていたようだ。
 そこから雨で滑りやすくなっている坂道を降りてくる。「まだこんなところ」さっきの売店がすぐそこに見えている。ここから東側の通路を通っていく。
 舗装路に落ちている蝉を木に返そうと美女が触ると、必死になって低空飛行で逃げて行く。雨で空気が重いので高く舞い上がれないのか、そろそろ命尽きようとしているのか。
「蝉はなぜ鳴くんですか」ダンディの質問は何かの謎掛けだろうか。「羽根を摺り合わせて」「いや、そういうことじゃなくて」メスを求めてオスが鳴く、だからメスは鳴かないと答えれば納得するから、本当に知らなかったのかしら。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」なんていう都々逸があるじゃありませんか。

 ヤブラン(藪蘭)、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い。茎に鋭い棘がある)。ツリガネニンジン(釣鐘人参)、「なぜ人参なんだろう」ロダンが悩む。鈴のような、薄い空色の小さな花はキキョウ科ツリガネニンジン属である。別名では「トトキ」と呼ばれ、春の若芽を茹でて、和え物や油いためなどにすると美味である。もちろん私は食べたことがない。森林公園発行の『花の散歩道』三百円には、「花を釣鐘に、太い根を高麗人参の根に見立てて名付けられました」とある。李さんは一所懸命写真を撮っている。賈さんは電子辞書の日中辞典を片手に持って、なにかあればすぐに調べている。
 何の木か分らないが、宗匠と画伯が「対生」とか「互生」とか専門的な用語を駆使しているが、私は近づかないようにした。
 堀内さんと阿部さんがいるから植物の名前がどんどん出てくる。キツネノマゴ(狐の孫?)は狐の顔に似ているという、直径五ミリほどの小さな花で、そう言われれば似ているのだろうか。ドクトルは「全然似ていない」と断言する。こんな花は指摘されなければ、気づかずに通り過ぎてしまう。「マゴ」は孫ではないらしいが、語源は不明だ。イヌホオヅキ(犬酸漿)、メマツヨイグサ。「マツヨイグサって、宵待ち草と同じものなの」「うーん、歌謡曲ではそう言うけどね」
 女郎花の黄色。オトコエシの白。美女が女郎花の語源を説明してくれる。オミナエシは、またオミナメシとも言う。オミナは勿論女性のことであるが、エシ、またはメシの語源は不明である。メシは飯かも知れないということだ。「オトコエシ(男郎花)のほうはどうなんだい」オミナエシに比べて強壮な印象があるからという。「エシ」が「飯」の転訛なら、女の飯が黄色(粟)で男の飯が白(白米)ということになるのだろうか。こういうことを言うのは江戸の人間かも知れない。大体、農村では白米なんかほとんど口にできなかったはずだから、農村からこんなことを言い出すとは思えない。

 濡れかかる男の囲む女郎花 《快歩》

 私は第一感でサススベリと断定したが、高さ五十センチほどの低い木が結構議論の対象になる。「木肌を見れば確かにサルスベリですよ」恩田さんも言うから間違いない。わざと大きくしないのではないかというのが、美女の意見だ。
 周りには私たちのほかに人影が見当たらない。それなのに、定時のイベント案内が放送されている。誰も行かないんじゃないか。
 「雅の広場」の池には色とりどりのスイレン(睡蓮)が咲く。蓮の花の中心は蜂巣のような形になっているのに、スイレンのほうはそうではない。それに葉に切れ込みがあるのはスイレンだと、何年か前に教わっているから間違えるはずがない。「本来は、ヒツジ草って言うんだ」ドクトルが学をひけらかす。何がヒツジであるか。「葉に切れ込みがあるだろう」それならば、羊の蹄に似ているのだろうか。私たちがあんまりバカなことをいうものだから、それに呆れて、「そんなことはありません、全く違います」と恩田さんが「未の刻」に咲くから名付けられたと教えてくれるのだ。未と言えば午後二時頃ということだろう。まだ午前中でもそれで良いのだろうか。「スイレンっていうのは、園芸上の名付けなんですよ」当然のことながら美女もちゃんと知っている。
 二週間前の下見の時にはチョウトンボが悠々と飛んでいたのだが、この雨ではトンボもどこかで休んでいるのだろう。すぐ左手の寺沼を指差して、「カワセミ(翡翠)がいるんじゃないか」と講釈師がみんなを呼ぶが、それらしい鳥は見えない。
 コブシ(辛夷)の実は、いくつもの丸い実が融合したように、本当に握り拳のような形をしている。七、八センチもある大きなものだ。清さんも初めてみると言っているから珍しいものなのだろう。「コブシの語源はこれじゃないよね」「花の形からきてたんじゃないですか」
 「知ってるだろ?♪コブシ咲くあの北国に春が来る、ってさ」講釈師が賈さんに同意を促しているが、歌詞がおかしい。「だって、中国じゃ大ヒットしたんだぜ」講釈師としては日中親善に貢献しようと一所懸命なのだろう。花の時期ならもっと良かった。

 降る雨や親善担ふ辛夷の実  眞人

 「大合唱になりますよ」とダンディもそれには賛成する。しかし『北国の春』が中国で大ヒットになったとしても、まさか日本語で歌っているのではあるまい。中国語の歌詞になっている筈だから、きちんと歌わなければ分からない。こういうときにはカラオケの達人である画伯に登場してもらおう。取り敢えず正確な歌詞を引いておくか。実は私にはそんなに大そうな歌だと思えないのだが。(私は千昌夫の故郷である岩手の春は知らないが、少なくとも秋田では、白樺と辛夷とが故郷の春の象徴になるなんてことはない。白樺ならば、どちらかといえば信州とか、そんな辺りではないだろうか)

 白樺 青空 南風
 こぶし咲く あの丘 北国の
 ああ 北国の春
 季節が都会では 分からないだろと
 届いたおふくろの小さな包み
 あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな(千昌夫作詞、遠藤実作曲)

 センニンソウ(仙人草。キンポウゲ科センニンソウ属)も教えてもらう。白い十字形の花(実はガク)の中心から白い雄蕊がヒゲのように何本も伸びている。ここから右手に梅林を見て歩いていくが、「春には福寿草が一面に咲く」講釈師の言葉を裏付けて、その看板が立つ。「そうか、ここに来れば良いのね」阿部さんが納得したように首を傾げる。ガガイモ。
 標識十一番のところから、表通りを外れて狭い山道に入る。これが鎌倉古道らしいのだ。アスファルト舗装ではないから足元が優しい。ロダンはこういう道が好きだ。「心が洗われるようですよ」昨日の酒がやっと抜けたのではないだろうか。
 「栃木のあたりに誰かいたじゃないか、いざ鎌倉っていうとき、あれもこの道を通ったのかな」栃木、下野国ですか。佐野のあたりに誰かいたような気がする。「鉢の木ですか」「そうそう」「それなら佐野次郎右衛門じゃなくて」私もこのごろロダン症候群にかかってきた。「そうだ、佐野源左衛門だ」ドクトルの口から謡曲『鉢の木』の主人公の名前が出てくるとは思いも寄らなかった。われわれも坂東武者の気分になってみようか。

 秋の野や馳せ参じたる武者の列  眞人

 どうも私の腰折れより、『鉢の木』を引用したほうがよさそうだ。

 シテ あら笑止や、夜の更くるについて次第に寒くなりて侯、焚き火をしてあて申したくは候へども、恥づかしながらさやうの物もなく候、や、案じ出だして候、これなる鉢の木を切り、火に焚いてあて申し候ふべし
 (略)
 シテ かやうに落ちぶれては侯へども、今にてもあれ鎌倉におん大事出で来るならば、千切れたりともこの具足取つて投げ掛け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に弛せ参じ着到に付き、さて合戦始まらば
 〔上げ歌〕
 地 敵大勢ありとても、敵大勢ありとても、一番に破つて入り、思ふ敵と寄り合ひ、打ち合ひて死なんこの身の、このままならば徒らに、飢ゑに疲れて死なん命、なんぼう無念のことざうぞ。(謡曲「鉢の木」)
 http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-yokyoku-hachinoki.htm

 しかし、鎌倉古道はあちこちにあるから、ここを通ったかどうか。「あの当時関東の平地は湿原だから、大体は山道を選んで歩いた」地質学的な知識に加えて、このところ、ドクトルは歴史の知識を披露することが多くなった。
 途中舗装された通りに出る前に左に逸れて行くべきところを、通りに出て真っ直ぐ横切ってしまったから、「えーっ、こんな道でしたか」とリーダーが不審な顔をする。私の間違いだ。ちょっと戻って、通りを真っ直ぐに行くと、標識十二番のところに、鎌倉古道の立て札が立っている。本当はこの脇から出てくるはずだったのだ。地図が苦手と自称するリーダーを補佐するための私がこの態では仕方がない。

 「あーっ、こんなにズボンの裾が汚れちゃって。佐藤さんはあんまり汚れていませんね」リーダーの言葉に「歩き方が上手なんじゃないか」と私は自慢してみたが、ドクトルからすぐに「ガニマタだと汚れない」と切り返される。岳人はちゃんとスパッツなるものを装着しているから、裾も汚れようがない。山登りをする人は装備もきちんとしている。雨からリュックを(中身を)守るために、大半の人が防水カバーを付けている。講釈師と阿部さんはポンチョを被っているから、当然リュックも保護されている。それがなくても、チイさんと宗匠はビニール風呂敷で防護しているから偉い。私はと言えば、そんな用意は全くないし、靴だって底が磨り減って滑ってしまう。千八百九十円で買って、もう三年以上も履いている勘定だから無理は無い。「靴は新しいのを買った方がいいですよ」と岳人に諭されてしまう始末だ。
 「ぽんぽこマウンテン」(大きなトランポリンの山)のある広場に到着したのはちょうど昼だ。大きなテントが設置されているが、大半の女性陣はテントの外の大木の木陰のベンチで弁当を広げる。私達はテントの中に入り込む。
 「早くシート出せよ」相変わらず、自分はシートを持参しないくせに講釈師が偉そうに急かせる。トイレに寄って少し遅れた画伯にも、「シート持ってる人間は早く来なくちゃ駄目だ」と実に理不尽な態度で迎える。ゲストの二人は座り込むのはあまり得意ではないから、ベンチに腰かけようとするのだが、「こっちに入らなきゃ、除名だ」と講釈師が無理やり座らせる。李さんは器用に胡坐をかいているが、やはり余り快適ではなさそうだ。講釈師が大声で何か言うたびに、賈さんがクスクス笑う。村上春樹を翻訳した人だというから、講釈師のちょっと変則な江戸弁(草加弁が混じっている?)もちゃんと理解しているのだろう。
 この雨の中、向うのトランポリンでは若者が二人跳ねている。滑って危ないんじゃないか。「若者の特権ですね」「我々は絶対やっちゃ駄目だ、骨折してしまう」食事の合間に、お煎餅、林檎、梨、漬物が回ってくる。

 お花畑の横の道を歩けば、山の緑を背景にして、オミナエシ(女郎花)の黄色の花が一面に咲いているのが美しい。上り下りの多い道をそのまま北に向かって、中央橋を渡り、中央レストランのところでトイレ休憩をとる。「去年はさ(実は去年ではなく、一昨年のことなのだが)、ここのバーベキュー設備のところを借りて飯を食ったんだ」講釈師は何でもよく覚えている。
 彫刻広場の手前のあたりには水生植物の池がある。オモダカ、ガガブタ(ミツガシワ科)。「名前が可哀そう」豚と名付けられた可哀そうな花に同情が集まる。五片の白い花の周りを毛のようなものが取り巻いていて、なかなか可愛い花なのだ。絶滅の危機が増大しているらしい。ただし、ガガブタは豚ではなかった。

 ガガブタとはおもしろい名前ですが,ガガは影の転訛で鏡の意味だそうです。ですから鏡の蓋ということになります。漢字では鏡蓋。
 http://www.yoshiwo.jp/japan_plants/n23.htm

 「早くきてみな」池から外れた藪のほうで講釈師が呼んでいる。「黄色い糸トンボだよ」よく見えないが、村田さんが傘で葉を寄せると、爪楊枝のような細い蜻蛉が枝に止まっている。黄色い糸蜻蛉は珍しいような気がする。「俺だって、ちゃんと見るものは見てるんだ」普段は、蝶や蜻蛉を追い払う講釈師にしては珍しいが、「知っていることを言わないだけだ」と子供が自慢するように口を尖らす。我が手柄のように吹聴しているが、宗匠の証言によれば、「ホントは恩田さんが最初にみつけたんだ」そうだ。キイトトンボであった。
 コバギボウシ(小葉擬宝珠。ユリ科ギボウシ属)。薄紫の花の中を覗いて、阿部さんが「綺麗」と感動する。ラッパのような花の内側には黒い筋が縦に入っていて、外から見るより確かに美しい。
 地図を見れば、この近くに「資料館(研修施設)」というのがあるが、ここには資料は一切置いてない。下見のときに寄って見たが、受付の男が不審者を見るようにしながら断言していた。そもそも、「関係者以外立ち入り禁止」の立て札を立ててあるのに、「資料館」という地図上の表記は問題ではあるまいか。別に損をしたわけではないのだけれど。

 植物園とハーブガーデンが並んでいるところで休憩を兼ねて、ちょっとの間自由行動になる。「ハーブガーデン」とは言いながら、ハーブではない植物も結構あるから迷ってしまう。「パイナップルはどこだったかしら」美女は先日の下見のときにみた小さな鉢植えのパイナップルに執心して、やっと探し出すと、「なんだ、こんな小さなやつか」と講釈師がバカにしたような声を出すが、それでもちゃんと写真を撮っている。
 ここで阿部さんがお土産をくれた。先月の越谷歩きの際に私が悩んでしまった花「アレチハナガサ」について、「ヤナギハナガサ」ではないかと資料を持ってきてくれたのだ。感動の一瞬。これを見ると確かに私が知りたかったのは「ヤナギハナガサ」のほうだと思われる。何事も、こうして教えてくれる人が近くにいるのは嬉しいことだ。
 講釈師がノウゼンカズラ(凌霄花)を指差して、「チャイニーズ・トランペットと呼ばれるんだ」とゲストに教える。私は講釈師以外の口からそんな呼び方は聞いたことが無い。中国原産の花だから二人は当然知っているだろう。
 植物園の横には気の早いヒガンバナが二輪咲いていて、そのそばに、今日のお目当てであるキツネノカミソリ(狐の剃刀。ヒガンバナ科ヒガンバナ属)も一輪咲いている。花がヒガンバナのような細いものではなく、もっとユリに似ていて、それを縦に裂いたような形をしている。橙色だ。葉が剃刀の形をしていることから名付けられたというのだが、開花すると葉が落ちてしまうので、確認する手立てがない。
 「それではキツネノカミソリの群生地に向かいます」リーダーの言葉で出発する。実に久し振りの清さんは何を発見したのか、ゆっくりと観察している。美女が道を間違えて曲がろうとするものだから、これは私が知っていてすぐに訂正した。後方から堀内さんが何かを確認するため「佐藤さん」と大きな声で呼んでいる。「佐藤さんは二人いるんだから、ちゃんと名前を呼ばなくちゃ」講釈師が言っているが、堀内さんに私が呼ばれる筈がない。これは植物に熱心な清さんのことであるのは明らかだが、でもちょっと淋しい。
 なぜか、講釈師の口から草加の阿波踊りの話題が出てくる。「今夜なんだよ、踊らなくちゃいけない」「この雨じゃ中止なんじゃないの」「雨は佐藤さんの責任だ」そんな話をするものだから、曲がり角を間違えて行き過ぎた。

 秋雨やうなだれてゆく迷い人 《快歩》
 阿波踊り秋の野道を惑せり  眞人

 「どこに行くんですか。てべ沼なら、もっと前で曲がらなくちゃ」恩田さんは森林公園には何度も来ているから、ちゃんと知っている。ちょっと戻って「てべ沼」の標識のところを曲がったが、どうも下見のときの感じではない。地図の苦手な私と美女が悩んだ末に、ダンディの感覚に従って歩き始めると、右手にその群落があった。下見のときには逆から来ているから、てべ沼の周りを回りすぎて、曲がり角を行き過ぎてしまったのだ。雨のせいか先日見たときに比べて橙色に精彩がない。それでも「良かったね」と寺山さんが言ってくれるので、なんとか案内した甲斐がある。こんなことで、当初の計画時間をかなり超過してしまった。
 下見の時にはここから山道をたどって最後に急な登りになる道を歩いたが、今日の雨では道がぬかるんでいるに違いない。舗装された道を歩くことに決め、「知らない道なんですけど」と不安そうなリーダーを補佐して進む。
 渓流広場から記念広場に抜け、近道だと思われる標識に沿って進む。「さっきの道を真っ直ぐ行ったほうが早いような気がする」と言うのは恩田さんだ。一昨年の七月にヤマユリの真っ盛りのときに歩いた道を通る。二週間前には咲いていたウバユリ(姥百合。ユリ科ウバユリ属)ももう花は終わって、実をつけている。中央レストランでトイレ休憩を取る。ここから、最後の野草コースを辿れば南口まで一時間で行けるだろうか。
 私たちの前に数人が歩いているだけで、他には人影もない。園内を周遊するバスにも係員の姿しか見えない。そもそも、こんな雨の日に野外散策をしようなんていう物好きな連中は私たち位なものなのだろう。
 しかし、物好き、「数寄」こそが日本文化の極意であって、それが「粋」や風流を形成してきたのだと、松岡正剛が繰り返し語っている(『日本数寄』)。バサラ、傾き(歌舞伎)がそうであったのなら、私たちのモノ好きも多少は日本文化に貢献しているか。(大袈裟すぎるね)

 「これ、ホトギス(杜鵑草)じゃないですか」花が咲いてないのに、葉だけを見て同意を求められても困ってしまう。それに、杜鵑草といってもヤマジノホトトギスなど種類が多うござんす。これは質問ではなく、美女の自問なのだろう。「ホトギスって誰でしたっけ」今度はロダンが本当に質問してくる。ホトトギス?子規や虚子のことではあるまいね。「帰るとか帰らないとか」『不如帰』か、「それなら」と応じようとしても名前が出てこないのだ。「蘇峰の弟」「蘆花ですか」徳富蘆花であった。私の記憶も再生に時間がかかる。もっとも実際に読んではいないのだから、たとえすぐに思い出しても余り偉くは無い。
 それよりもこの小説によって、姑のモデルとされた大山捨松が深く傷ついたことのほうに私の関心はある。山川捨松は会津落城を経験し、幼くして津田梅子とともにアメリカに渡って優秀な成績でカレッジを卒業した。帰国後すぐに薩摩の大山の後妻に入り、やがて「鹿鳴館の花」と謳われる。幼年学校入学前で冬でも浴衣一枚で過ごしていたほど貧しかった柴五郎が、留学中の捨松が残していった着物を貰ったことなども思い起こす(石光真人編『ある明治人の遺書』)。しかし戊辰戦争に纏わる話を思い出してしまうと前に進めない。余計なことであった。

 道野辺に見ぬ花を見る秋の雨  眞人

 ゴンズイが赤い実を付けている。もう少し経てば赤い実が二つに割れて、中から目玉のような黒い種(?)が顔を出すはずだ。そうなると、私は何故か「目玉の親父」を連想してしまう。
 その頃、後方ではミズヒキソウ(水引草)を見て、ダンディと講釈師がゲスト二人に説明し、なぜか源平合戦にまで話が及んだと、宗匠が報告してくれた。紅白の水引からの連想だろうか。

 水引草ゲストにまめな講釈師 《快歩》

 野草コース入り口で遅れ加減な後続を待って、中に入る。大きな土管(金属製だが)のようなトンネルのところに「桔梗が咲いています」と美女が宣言したが、今日はもう咲いていない。
 砂利道から花畑の真ん中の道に入れば、やはり泥濘がひどく、余り先には進めない。狭い道で「戻れ、戻れ」と講釈師が大声を出す。キキョウは見えない。ミソハギ(ミソハギ科ミソハギ属)。「お味噌ではなく、禊です」美女が説明してくれる。女郎花。オトコエシ。美女が秋の七草の名前を確認するが、五七調にならないから覚えられない。ダンディも賈さんに説明する。私もうろ覚えだから、確認してみた。
 ハギ・キキョウ/クズ・フジバカマ/オミナエシ/オバナ・ナデシコ/秋の七草。クズ、ナデシコ(撫子)、フジバカマ(藤袴)は見えなかったようだ。
 さっき入り口に立つ案内版の写真を見て、「ワレモコウってアザミみたいなの?」と蓮田の住人チイさんが聞いていた。全く違うが、その吾亦紅が暗赤色(と言うより焦茶色か)の花を付けている。これだけが単独で咲いていればちっとも面白くないが、女郎花の黄色、男郎花の白、ミソハギの赤紫の間にひっそりと咲いているのは何となく好ましい。私のように地味で自己主張をしない花だ。吾木香とも表記するが(と言うのを初めて知った)、吾亦紅のほうが良い。
 砂利道のほうに戻って少し先を行っていた宗匠とドクトルがやっとキキョウを三輪見つけた。二輪はもう終わりかけているが、一輪は今が丁度見頃か。青紫の花が美しい。

 泥濘に桔梗一輪雨に立つ  眞人

 もう一度トンネルを潜って元の道に出れば、あとは出口を目指して歩くだけだ。南口まで千四百メートルの表示を見て歩く。かなり列は長くなったが、全員無事に出口に辿り着く。宗匠とドクトルの万歩計の数値から推定すれば、今日のコースはおよそ十キロの行程であった。売店でお土産を買う人のなかで、岳人は矢張り酒を買いこんでいる。

 森林公園駅に着いたのが四時で、計画より三十分以上遅くなってしまった。女性陣の大半はここで電車に乗って去っていった。ゲスト二人を交えて残った十四人が駅前の喫茶店で「お茶会」をする。その後、反省しなければならない面々は川越で飲む予定だ。ゲストの二人はアルコールを口にしない人たちだから、講釈師、長老と一緒にそのまま電車に残る。ただし、初めて乗った「快速急行」は朝霞台には止まらない。志木で乗り換えるように、講釈師にくれぐれも念を押して、私たちは川越で降りる。ビッグ(大)には隊長も合流して十一人の賑やかな反省会となった。

 あとで聞いたのだが、川越から快速急行に乗ったあっちゃんとドクトルは、志木で降りられず和光市まで乗り過ごした。朝霞台に戻ろうとして今度は朝霞で降りてしまい、これでは武蔵野線の駅が発見できない。もういちど東上線で朝霞台まで戻って、漸く武蔵野線に乗り換えることができたと言う。

眞人