***  匿名投稿  ***

2003年9月

原作中の実名は全て仮名に変更しました(HP担当)

 初めて好きな女を映画に誘おうとするとき、人はどういう作品を選ぶのだろうか。私の場合、それが何故『緋牡丹博徒』でなければならなかったのか、私にはまるで理解できない。確かに任侠映画が好きで、だから『緋牡丹博徒』のシリーズは必ず見ることにしてはいたが、初めて蒼子を誘う場所として適切だったのか。中学生でももう少し気の利いた選択をするだろう。恋愛の初歩的な政治学さえ私は知らなかった。
 「わたし、初めて」と蒼子は言ったが、その通りだろう。この早稲田松竹はいつも宮野と一緒に来るところだが、昔のやくざ映画ばかりを延々と上映し続けている場所だから、あまり女性の来る様なところではない。だいたい、やくざ映画の上映館はあまり綺麗にはできていない。蒼子に悪いことをしたかなと初めて気がついた。
 映画が終わって、どうだったと聞く私に、「藤純子は綺麗すぎるよ」と答えた。しかし蒼子さん、あなたも美しいと、口には出さなかったが私はそう思ってしまった。蒼子の存在が私の中で急激に大きくなっていた。

   蒼子に会ったのは新入生が集まって騒いでいる掲示板の前だった。まだ新しい年度のオリエンテーションやガイダンスが頻繁に開かれ、この時期は特に掲示板の前は騒がしい。各種のサークルの勧誘も盛んだ。男子学生もだいたい真新しいジャケットを着ているから、すぐに新入生だと判別がつく。ただ、宮野は予備校時代から私と遊んでいるので、ジーパンにサンダル履きで良いと決めていたから、誰も新入生だとは思ってくれない。サークルの勧誘も声を掛けない。
そんな喧騒の中で宮野が偶然蒼子を見つけて、ふたりで私を待っていてくれたのだが、蒼子もこの大学に入学していたとは知らなかった。色白で少し猫背気味だが、意志の強そうな性格は、少しエラの張った顔立ちと視線の強さに表れている。高校時代から、美人を数え上げればその中に必ず入ると言われていたし、何人かの男たちが騒いでいたのも憶えている。高校の卒業以来一年ぶりに会う蒼子はやはり綺麗だった。
 それからは時々、私の仲間とも一緒に昼飯を食べたり、宮野と三人で飲みに行ったりという交際が始まった。蒼子は意外に酒が強かった。私が一番だらしなかっただろう。「そんなに強くないんだから、あんまり飲み過ぎないほうが良いよ」と時々蒼子は忠告したが、三人で飲む時間が私は楽しかったし、ついつい飲みすぎた。そして飲めば必ず吐いた。少し酔って白い頬が薄っすらと染まる蒼子は素敵だ。私の心はいつも鬱屈を抱えていたが、蒼子と会うとそれを忘れることができた。

 映画を一緒に見た後は、二人だけで時々会うことができた。特別何をするという訳でもない。私は自分の中の縺れた思いを上手く表現することができず口ごもる時間が多い。蒼子もどちらかと言えば寡黙なほうだから、会話は途切れ勝ちだった。何を語り合っただろうか。私は、ポツリポツリと自分の不様な状況を説明していた筈だ。
喫茶店に飽きれば少し街を歩き回ったりする程度が私たちのデートだったが、私は満足していた。
 蒼子とその周りの空気だけが世界で一番美しいと私は思った。蒼子が住む街だという理由だけで、武蔵小杉という駅名さえ好ましいと感じられた。私は妙な女との縁を断ち切ることができず薄汚れていたから、美しい蒼子が眩しかった。私はただ仰ぎ見るだけで満足していなければならなかった筈だったのに。

 男には負けると分かっていても戦わなければならないときがある。あまり当てにはならないアジテーションだが、あの時二人で見た『緋牡丹博徒』の中で鶴田浩二が語る台詞だ。この頃、私にとっては任侠映画のなかの主人公たちの台詞こそが人生の指針だった。
「人生の指針」などと大袈裟な物言いだが、文学の中の言葉は私には重過ぎた。ドストエフスキーの壮大な世界さえ、私は自分の小さな世界と引き比べてしまう。ラゴージンとムイシュキンとがナスターシャ・フィリッポヴナへ寄せる奇妙で不可解な執着、ミーチャとグルーシェンカの関係は、私と女の不毛な関係を連想させたし、中原中也の長谷川泰子への恋着も身につまされる。別に執着はしていないが、関係を断ち切れない重苦しさは似たようなものだと私は感じていた。決着こそが全ての解決だがそれができない以上、生きている資格がないと、私は自分自身を判定していた。
逡巡の果ての最後の瞬間に、快刀乱麻を断ち切る鶴田浩二や高倉健の言葉が、そんな英雄的な行為ができない私にはどれだけ魅力的に響いていたか。それが私に無謀な戦いをけしかけたのかも知れない。蒼子に恋することは予め敗北が決定されていることだった。女との決着もきちんとつけられずに、蒼子に恋してしまうことなど許されることではなかった。それは蒼子を冒涜することだし、受け入れられる筈がない。狂っていたとしか思えない。

 「あなたが好きだ」と思い切って口に出したとき、蒼子はそれほど驚いた様子は見せなかった。「あなたがいてくれれば生きていけるかもしれない」と私は言った。
「結婚したい」という突拍子もない言葉までが口に出た。私の望みに少し考えてから、「身体に気をつけなくちゃね、あんまり飲み過ぎちゃ駄目よ」と蒼子は笑った。蒼子は優しかった。私への憐憫がそう答えさせたのだろうか。あのときの蒼子の一言一句をも逃さずに、正確に記憶を蘇らせることができたなら。
 遠い歳月を隔てて悔しいのは、楽しかった出来事はほんの少ししか蘇えらず、つらかったこと、恥ずかしいことだけは細部に到るまで鮮明に思い出すことだ。私たちの記憶はどういう構造になっているのだろう。

 奇跡が起きたのかも知れない。しかし、私はどうする積りだったのだろう。女は相変わらず私に纏わりついていた。この鬱陶しい事態の決着をどうつけるのか。もともとそれが目的で大学に入った筈だったのに、教員の資格を得るのはとっくに諦めていたから、きちんと就職を探さなければならない。しかし私は、全く途方に暮れたままの自分をただ持て余しているだけだった。
だが、そんなことは後から考えたことで、その時点では私は単純に有頂天になっていただけだった。宮野にも自慢した。仲間にも吹聴した。つくづく馬鹿な男だった。そもそも、好きだなどと口に出して言う資格に欠けていたことにさえ、私は気付いていない。
 私は夢をみていた。永遠に醒めなければ良いと、夢のただ中で私は思い続けていた。そのくせ、新しい人生を設計し、何か行動に移そうという積極的な心持はいつまで経っても生まれて来なかった。甘ったれていたのだ。状況を一瞬のうちに解決してくれる何かの奇跡が生まれてくれるのを、ただ私は待っていただけだった。

 夏休みに入り蒼子は帰郷した。大学の休みはなぜこんなにも長いのか、早く秋になれば良い。そう思いながら、私は何をしていたのか。蒼子にふさわしい存在であるためには懸命な努力が必要だった筈なのに、私は何もしなかった。相変わらず自堕落で怠惰な暮らしを過ごしていた。女とも会っていた。信じられない位の馬鹿者をこの世界で探そうとすれば、そこで発見されるのが私だった。

 夏休みがもうすぐ終わろうとする頃、蒼子から封書が届いた。長い手紙だった。
 「ごめんなさい」と最初に書かれている。それだけで私は理解した。
色々考えた。本当に申し訳ないと思うが、あなたの希望に応じることは無理だと分かった。要約すればそんなことが書かれていた。私の浮かれていた気分は一気に凋んだ。大切なものが永遠になくなってしまった。言わなければ良かったのだ。ただ美しいものを近くで見ているだけで満足していれば良かったのだ。
胸が潰れる想いだったが、それよりも、自分に対する悔しさが募った。惨めさが堪えた。当たり前だ。蒼子の判断は正しい。私は卑劣な男だ。薄汚れた怠け者だ。それなのに、蒼子は一瞬でも私に夢を見させてくれた。蒼子に申し訳ないことをしてしまった。

 その夜、宮野がサントリーのホワイトを一本持ってきた。「馬鹿だな」と宮野は罵って、無理やり私に飲ませた。ことさらに卑猥な話題を口にして、私を笑わせた。『昭和の歌謡曲』をひっぱり出しては、悲しい唄ばかり歌った。歌謡曲はなぜこんなにも悲哀に充ちているか。二人で一本を空ける頃には私はすっかり朦朧としていた。脈絡もなく、色々のことが蘇える。蒼子の白い顔。あんまり飲み過ぎちゃ駄目よと笑う蒼子の声。手紙に認められた特徴のある文字。宮野と半ば喧嘩しながら蒼子を送っていったこと。
 宮野が歌っている。
〜恋の終わりは涙じゃないの それは想い出の始まりなのよ
嘘を歌うな。こんな変哲もない歌謡曲が身に堪える。涙が出てしまう。これじゃ駄目だ、こんな男じゃ駄目だ。ちゃんとしなければ蒼子に済まないと私は何度も呟いていた。