矢島-江戸の参勤交代の行程図 表紙~20頁
表紙~20頁 21頁~40頁 41頁~60頁 61頁~80頁 81頁~100頁 101頁~120頁 121頁~140頁
141頁~宿場・街道の説明12頁目 宿場・街道の説明13頁目~35頁目 宿場・街道の説明36頁目~裏表紙
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数々の街道を歩き、すばらしい文章を残してきた眞人さんが、腰を痛めた関係で、しばらく街道歩き・町歩きを休むようです。
復帰されるまでの間、つなぎとして、このBBSに私の家に伝わる矢島-江戸間の参勤交代の行程図の1頁1頁の写真を撮って紹介していこうと思います。
200頁を超えるので長丁場となりますが、興味ある方は見てけれな。。
では、早速行くから。
この資料は、然るべきところに寄贈することになっているものだから。
長丁場すぎるようならば、少し飛ばしたりするから。。
2016年7月 サトウケンジさんの投稿
表紙だ。冊子体になっているんだよ。
スケールを置いて、表紙をもう一枚。
ちょうど、懐に入れて携行できる寸法なんだ。
1頁め。
江戸からスタートするんだ。
矢島藩の江戸屋敷は、御徒町あたりだよ(2頁め)。
2頁め。見開きの左ページなんです。
江戸屋敷、新吉原など、。 江戸文化だな。
3頁め。
日光街道に入るんだけど、まず、神田を通って千住に向かう。
小塚原の御仕置場って、処刑場だな、。
4頁め。
ルートは、江戸を出て、日光街道、旧陸羽街道、羽州街道、秋田街道を北上し、最後、秋田街道から分かれ矢島藩の領内に入るんだけど、クライマックスは、山形県の新庄から及位を過ぎてすぐ、秋田街道から分かれて「甑峠」(こしきとうげ)を越えるところだな。
そこらあたりは最後近くでな。
なお、山形県のルートの一部は、明治11年ごろに来日して、日本奥地紀行を書いた英国人、イザベラ・バード女史の辿った道と重なる。
あ、4頁めは、まだ江戸の千住。
5頁め。
地名は、ほとんどが今でも残っているよう。
地図好きの人は、追ってみてけれ。
水戸追分、佐倉道と分かれる。
6頁目。
街道の両サイドに赤印が付されているんだけど、ひょっとしたら一里塚かもしれね。
あと、甑峠を通る他の藩としては、亀田藩、本荘藩、岩城藩があったようだ。この藩の呼び方は、ダブっているかもしれね。
亀田藩は、NHK・BSドラマ(藤沢周平の牢医者を主人公としたの)とか、真田幸村と豊臣秀次の娘との間にできた娘が嫁いだ先だと大河ドラマ「真田丸」の解説で説明されたりして、最近、脚光を浴びたなと思う。
この図には、「竹ノ塚茶屋」ってのが乗っている。
カフェだな。
7頁目。
8頁目。
草加だな。 「草加せんべい」っていつ頃からあるんだ?
四軒茶屋って、なんか、いいな。
9頁目。
越谷なだな。
10頁目。
11頁目。
ここに写真を載せる意味は、昔だって、こういう資料がちゃんとあったということを知ってほしいというか、興味を持ってほしいからかな?。。
現物は、そのうち、何らかの形で企画展示されるものと思うよ。
12頁め。
「粕壁」だと。
春日部と粕壁。
それと、古利根川だって、。。 相当古いってことだな。。
13頁目。
14頁め。
九軒茶屋って書いてあるようだね。
このあたりの日光街道は、今で言う「東武スカイツリーライン」の筋だべな。
オラが東京にいた頃、通勤で乗ってた田園都市線、半蔵門線の乗り入れなんだな。
15頁め。
道路の周囲で、平行線を引いて斜めに交わる線描で表しているのは、どうも「田んぼ」だな。
16頁め。
幸手なんだ。
17頁め。
栗橋まで竹藪とか。
右の方に「利根川が見ゆる」とか。
18頁め。
栗橋の関所。
このあたり、利根川には橋がなく、船による渡しなんだ。
「アワ餅」って書いているようだ。名物か?
関所の中に、「高札」というのかな? 掲示板があるみたい。
19頁め。
利根川を渡った。
街道の周囲は田んぼで、だんだんと人家が少なくなってきたような。
20頁め。
古河。 お城の絵。
新田茶屋の左隣には何が書いてあるのか、わからない。
「アソ沼」かな。
道中は、埼玉県から茨城県に入った。