矢島-江戸の参勤交代の行程図 宿場・街道の説明36頁目~



表紙~20頁      21頁~40頁      41頁~60頁      61頁~80頁      81頁~100頁      101頁~120頁      121頁~140頁     

141頁~宿場・街道の説明12頁目      宿場・街道の説明13頁目~35頁目      宿場・街道の説明36頁目~裏表紙

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数々の街道を歩き、すばらしい文章を残してきた眞人さんが、腰を痛めた関係で、しばらく街道歩き・町歩きを休むようです。
復帰されるまでの間、つなぎとして、このBBSに私の家に伝わる矢島-江戸間の参勤交代の行程図の1頁1頁の写真を撮って紹介していこうと思います。
200頁を超えるので長丁場となりますが、興味ある方は見てけれな。。

では、早速行くから。

この資料は、然るべきところに寄贈することになっているものだから。
長丁場すぎるようならば、少し飛ばしたりするから。。
2016年8月 サトウケンジさんの投稿



宿場、街道の説明36頁め。

飛付不動堂  材木岩

【行程図 82-83頁め】



宿場、街道の説明37頁め。


(大岩の名前まで、、詳しいねぇ。)



宿場、街道の説明38頁め。


(この楢下の宿を通る道は、参勤交代の交通路として、久保田の佐竹藩梅津政景が整備したらしい。13の大名が参勤交代に利用していたとのことだ。
金山新田の説明で、茶屋のことを書いているようで、志るこ、餅とかの文字があるような、、、。 何とか餅と書いているようだが、わからない。)

【行程図 89-90頁め】



宿場、街道の説明39頁め。


(上の山 町中に温泉があることや、上山満兼という武将が山形の最上義光を攻めたなどのことが書かれているみたいです。)



宿場、街道の説明40頁め。


(四ツ屋新田 茶屋あるみたいです~~♪♪)



宿場、街道の説明41頁め。


(吉原村 茶屋があるみたい~~♪♪ ところてんが名物って書いているのでは?)



宿場、街道の説明42頁め。



宿場、街道の説明43頁め。


(天童 古城の跡あり。町中から東へ山寺に行く道あり、、とか書いているみたい)



宿場、街道の説明44頁め。


(若木大明神 疱瘡の守。 お大名方のお昼休み、、って書いてあるみたいっす。

 東根市にある若木神社は、今でも天然痘の守として信仰を集めているらしいです。)

【行程図 100頁め】



宿場、街道の説明45頁め。


(「舘岡」は、今でいう「楯岡」。)



宿場、街道の説明46頁め。


(土生田 大石田道との追分に、茶屋二軒~~♪♪)

(尾花沢 馬市が年に2度ある、、とか書いてある?)



宿場、街道の説明47頁め。


(鯖根峠は、行程図では佐羽ケ峠)


【行程図 106-107頁め】



宿場、街道の説明48頁め。


(なんか「茶屋」という文字を見つけるとうれしくなる、、、。)



宿場、街道の説明49頁め。


(下中田村のところで、豆揚、志るこ、氷餅って、書いてないかなぁ? そう書いているように見える、みたいな。。 「氷餅」って、普通は「干し餅」と云うのだな)



宿場、街道の説明50頁め。


(この「及位」(のぞき)の頁が最後になります。道は、及位を出てすぐに秋田街道(羽州街道)から分かれ、甑峠(こしきとうげ))越えで矢島領内に向かいます。【行程図117-122頁め】

 いやぁ、参勤交代、、江戸から遠い小藩には大変なことだったろうと思います。そのせいか、藩は弟君に領地の一部を分与し、大名格から旗本格になって(八千石)、江戸詰になるようにしたりしてるんですよ。

 行程図142頁に描かれている矢島の陣屋、武家屋敷、町屋敷は、戊辰戦争で、あっと驚く鳥海山頂越えをして襲来した庄内兵に焼かれます。
 私の家の墓地の脇には、戦死した藩士の「官軍 片倉良吉」と書かれたお墓が立っています。 昔、昔のこと、、。

 最後までこの行程図、見た人がいるのかなぁ、、、もし、いたら、最後までお付き合い、ありがとうございました。)

 あっと、最後に、この冊子の奥付と裏表紙を、次に載せます。



奥付け。



裏表紙。


--- オール 完 ---